2011年12月31日の午後から、2012年1月1日の夕方にかけて、那覇に滞在しておりました。
那覇で人と会う約束がいくつかあり、かつ、那覇の小道をゆっくり自分の足で歩いてみたいと思ったため、那覇の沖映通りにある月光荘というゲストハウスに泊まり、そこで新年を迎えました。
大晦日ということでゲストハウスは大いに盛り上がり、様々な場所から来訪した旅行者や、地元の人と交流することができました。三線の美味いスタッフ。中島みゆきの「糸」をギターで弾き語るアギヤー漁従事者。ふらりと突然現れてユニコーンの「雪が降る町」をギターで熱唱して去っていった近所のラーメン屋の店長。まるで漫画や演劇のような面白い展開がいくつもありました。
12月31日と1月1日は両日とも、沖縄県庁での座り込みにも参加してきました。「辺野古での米軍専用施設建設に向けた環境影響評価(アセスメント)の評価書の搬入に反対する座り込み」については、「アセスって何?なんで反対してんの?そもそも誰が反対してんの?」という疑問を抱いて気にはしていたものの、そこまで積極的に関与するつもりはなかったのですが、とある経済学者の方に誘われて思い切って足を運んでみたところ、そこでも色々と興味深い話を聞くことができました。
語り出せばきりがないので、私が耳にした様々な人々の語りの詳細は省きますが、「自分は見知らぬ他人から話を聞くことに快楽を見出せる人間なのだな」と実感した小旅行でした。
「お前大丈夫か?警察に捕まってないか?」
という電話が父から入ったので、これをきっかけにして1月1日の17時頃に、私は沖縄県庁から去り、西原に帰りました。
そしてその翌日に、今年初めての開拓作業に取り掛かったのでした。
両親の畑
ほぼ作業はルーティン化しております。両親の畑に到着すると、まずは父が野菜に水を遣ります。それと同時平行で、私がキャベツの青虫駆除を行います。父は老眼なので、細かい作業は私の担当という感じです。
しばらく見えなかったのに、今日は青虫が3匹もおりました。そのうちの一匹がやたら丸々としておりました。「一体どこでどうやってここまで育つのだろう?」と思わずにいられません。
原野
原野の開拓作業もルーティン化してきました。毎日10本を目安に、木を伐採していきます。同時平行で、伐採した木の片付けを進めていきます。
追記
原野の手前にある整然とした畑の主が、ラジオを大音量にして農作業をしておりました。ちょうどその時流れていた曲は「トーン」という曲。だいぶ前に流行った曲で、私が19歳の頃に聞いていた曲です。懐かしい。