シンクロしてます──「萃点」と関係あるのか?

「私のことを的確に批判・評価・言及してくれる、頭のいい人はいないかなあ」と思い、ごくごく軽いノリで、「重森」というキーワードをgoogleに打ち込み、検索をかけてみた。

とある京都にお住まいの方が、私の文章を取り上げて下さっているのを発見。なんか嬉しい♪

http://d.hatena.ne.jp/hachisuzume/20040122

しかし、「発見しなければ良かった」と後で後悔してしまうような情報も、今回、見つけてしまった。

http://homepage1.nifty.com/mole-uni/teruko/teruko-ookura2.html#妻の妖術

どうやら、「大倉【てる】子」という名の小説家が昔いたらしい。

で、この人物は昭和25年に、「宝石(2月号)」という雑誌上で小説を発表している。

この作品に出てくる登場人物の名前が、なぜか「重森」なのである。おまけにこの人物の肩書は「社会学者」なのだ。さらに、この作品は「心霊術」をその中心的な話題としている。ついでに「深田恭一郎」という名の心霊学者も登場してくるから怖い。

そして極めつけが、この作品自体の名前である。なんと『妻の妖術』。

クラクラっとこざるをえない。

やばいよやばいよやばいよ。

どうしよう。

なんか知らんけど焦る。

昨日は狸に会うし、その前はサクティ使ってたし、妖術について考えていたりもしたし。

きっとただの偶然なのだろう。確率的によくある出来事なのだろう。偶然性は気にし始めるときりがない。

のではあるのだけど…。

こういう偶然性の問題について考えたのが、南方熊楠だったと思う。確か熊楠は、「縁」や「曼荼羅」や「萃点」という言葉を用いて、偶然性について考察していたような気がする。

是非とも研究してみたい領域だ。

http://sacral.c.u-tokyo.ac.jp/~ikeg/kumakusu.html

http://earthday.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=109

http://www.aikis.or.jp/~kumagusu/books/tsurumi_chimoto_k4.html

↑熊楠は複雑系の思想をいち早く打ち出していたのであって、今回の偶然性や、ユングの言うようなシンクロニシティー、コインシデンスの問題については、何も言及していないのではないか? 彼が述べたかったことは、「萃点」に関する鶴見さんによる要約の通りではないのか?

「さまざまな因果系列、必然と偶然の交わりが一番多く通過する地点……そこから調べていくと、ものごとの筋道は分かりやすい。すべてのものはすべてのものにつながっている。みんな関係があるとすればどこからものごとの謎解きを始めていいかわからない。この萃点を押さえて、そこから始めるとよく分かる」[鶴見 2001:64]

だから熊楠の議論は、今回の『妻の妖術』問題とは、全然関係ないかもしれない。

↑結局、「萃点」というものが何であるのかよく分からない。しかし私は次のように考える。例えば、中学生が小学生を殺すという事件が発生したとしよう。このような出来事に対して世間は「ホラー映画の見すぎが今回のような事件を引き起こした」というような「物語」をあてはめる。もしくは「学校でのいじめが今回のような事件を引き起こした」「親が勉強ばかりさせることが今回の事件を引き起こした」というような「物語」をこしらえる。しかしこれらの「物語」は、事件が生起したメカニズムを的確に捉えてはいない。なぜならこの事件が起きるためには、もっと莫大な数の出来事がからんでくるはずだからである。すなわち「すべてのものはすべてのものにつながっている」[ibid]のである。この場合熊楠が「萃点」と呼ぶものは、実はこの事件そのものに該当する。中学生が小学生を殺すという事件・出来事が実現するにあたり、どのような無数の出来事がそこに関係してくるのか。このことに思いをはせようとすることが、複雑系の思考であろう。「萃点」とは、あるなんらかの出来事がまさしくある仕方で生じたということを、様々な因果関係の束がある一点に収束していく形で想像したときに、観察者によって見出される地点だと私は思う。

↑違う。「萃点」とは、様々な出来事の連関そのものが、集中して交わる特異な箇所・場・地点というだけのようにも思える。

http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/books063.htm

 「萃点は中心ではないの。中心にあると命令することになる。天皇制みたいになる。そこですべての人々が出会う出会いの場、交差点みたいなものなのね。そして非常に異なるものがお互いにそこで交流することによって、あるいはぶつかることによって、影響を与え合う場──それが萃点なの。」[ibid:165]

◆参考引用文献

鶴見和子 2001 『南方熊楠・萃点の思想』 藤原書店
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894342316/ref=sr_aps_b_/249-2236723-2822761