ナンパ師と私

そのナンパ師はやや不恰好な姿をして、待ち合わせ場所に現われた。

けして格好いいとはいえない。布製のズボンにフード付きのパーカーを着ている。まるで外出しないときに家の中でするような服装だ。

しかし、ナンパ師は喋る喋る。口だけでなく顔で喋る。目を見開き表情豊かに引き込むようにしてセリフを喋る。

まさしく、ナンパ師が口にしているセリフは、周到な計算に基づいて、彼が事前に考え出してきたものであった。

第一声はなになに。次はなになに。間をしばらく置き、次にこう言う。そして相手を笑わせる。

すなわち、話にオチをつけて笑わせる。

ナンパ師は漫才師であった。饒舌な噺家であった。

ナンパ師が繰り出すセリフは全て、なんらかのオチがつくようになっている。絶えず相手を笑いに導くことを、そのナンパ師は目的にしていた。

そして相手の警戒心を解く。

後はお気に召すまま。

ナンパ師が作成したセリフ集を読みつつ、受講生は練習を始める。

セリフは棒読みしてはいけない。しっかりと感情を込めて発音しなければならない。

その光景は舞台稽古そのものである。受講生は役者と少しも変わらない。台本を暗記し舞台に立って演技をする。この点で両者は共通している。

受講生たちは公園でナンパ師に手ほどきを受けながら黙々と練習する。セリフを滑らかに、抑揚をつけて、ちゃんとした間を置いたうえで、落ち着いて話せるようになれるよう、ひたすら練習を繰り返す。

何度も何度も練習を繰り返す。

セリフだけでなく、ナンパ師は、話し掛ける際に立つべき位置についても指導する。相手に圧迫感を与えないような位置に立つよう、受講生たちに指導する。

好みの相手を後ろから追い、それを追い越す形でそのまま話し掛ける。相手に警戒心を持たせないような位置から。

受講生たちはその絶好の位置を覚えるために、ひたすらナンパの模擬演習を仲間同士で行う。

何度も何度も練習を繰り返す。

43歳のおじさんも頑張っていた。32歳のお兄さんも頑張っていた。30歳の男も真剣だった。25歳の青二才は終始照れていた。そしてナンパ師は44歳だった。

立つ位置とセリフさえしっかり覚えれば必ずうまくいく。ナンパ師の力強いセリフに、受講生全員が息を呑んで聞き入る。

しかし25歳の青二才はひとり納得がいかない顔をしていた。

「こんなに用意周到に計算して、セリフを用意して、相手をやすやすと口説き落とせるようになったら、むなしくなりませんか?」

青二才は素朴な疑問を口に出してしまった。

沈黙。

風の強い午後の公園に、5人の男たちが沈黙している。

「…なんで悪いの? うまくいけばいいじゃん別に」

青二才の顔をじっと見つめた後、ナンパ師はぶっきらぼうに答えた。

他の受講生たちは沈黙を守っている。

青二才に背を向けしばらく歩きつつ、ナンパ師はおもむろに振り返った。

「…偉そうなこと言っちゃうけど、俺は仮説立てて検証してやってんだ。積み重ねてきたんだよ。そうやって勝率を上げてきたんだ。ナンパがうまくいってどこが悪い?」

「お互いが楽しくなればいいんですよね! こっちが楽しく話し掛ければ、相手も楽しくなってくる。こういうことですよね!」

幾分遊びなれているように見える30歳が、弾むようにしてナンパ師に同意を求めた。はしゃぐように目を輝かせて。だけど息せき切ったように。

「いま! 行け!」

はしゃぐ30歳の背中をナンパ師がふいに押した。道路の前方に獲物を認め、受講生にそれを追わせたのである。その仕草は早かった。30歳は慌しく標的の後を追う。それをナンパ師が追う。

青二才は完全に忘れさられていた。

走る二人を後ろからじっと眺めていた。

セリフや立ち位置次第で、相手の自分に対する好感度が変わってしまうことに、青二才はショックを受けていた。

かけがえのないこのユニークな私。これが否定されたかのように感じたのである。

いや、否定されたのである。

青二才が青二才である所以である。

彼は自分というものを高く評価しすぎていた。

取替え可能な、どこにでもいるような存在のくせに、青二才は自分に無根拠的な自信を持っていた。

それが、姑息で小ざかしいテクニックに長けた、しかし実際に驚異的な成績をあげているナンパ師によって、完全に打ち砕かれたのである。

青二才は、自分自身がどこにでもいるような何の変哲もない人間であることを、認めたくなかった。

彼は十分すぎるほど、うぬぼれていたのである。

自分はそんなにたいした存在ではないことを受け入れきれていなかったのである。

本当の、素のままの、何の化粧も施されていない私そのもののその価値を、認めてくれる他者がいるという、淡く幼稚で切ない幻想は、無残にも砕け散った。

「そう? 顔が好みじゃなかったの? 後姿は美人だったんだけどね。…よっしゃ。次いこ次。」

笑みを浮かべつつ戻ってきた30歳の傍らで、ナンパ師は次の狩場へと受講生をいざなった。

25歳のナルシストは、ただただ暗い気持ちでその指示に従った。

行く先は新宿。

青二才はいろいろ考えた。新宿行きの地下鉄電車の中でいろいろ考えた。

「ナンパ師はナンパでゲットした女性に自分のことをどこまで話すのだろう? どこまで本当のことを話すのだろう?」

「ナンパするときにためらうことなく口にした「愛している」というあのセリフを、ナンパ師は相変わらず、迷うことなく、相手の女性へ聞かせ続けるのだろうか?」

「この人は、人を本当に好きになったことはあるのだろうか?」

青二才が青二才と言われる所以である。

しかし俺は本当に青二才なのか?

やつらこそが青二才ではないのか?

矛盾に一切気付こうとせず、考えることを途中でやめているような奴こそが青二才だ。

愛していない人に「愛している」と言ってはいけない。

セックスがしたいなら、「セックスがしたい」と言え。