芸大の地下室で小林よしのり氏による『沖縄論』について議論する「沖縄人」たちと重森


昨日、「hybrid-okinawa」という組織の会合が、東京芸術大学の地下で催された。

「hybrid-okinawa」とは、「沖縄文化について考えかつ行動する人々」の集まりである。メンバーは沖縄と東京で活躍している若手芸術家や研究者、そしてその知り合いの沖縄出身者である。

http://groups.yahoo.co.jp/group/hybrid-okinawa/

ある日、ネット上をあてもなく彷徨っていた「hybrid-okinawa」の代表は、妖しげで風変わりなサイトを発見した。そのサイトに掲載されていた管理人のプロフィールはひときわ異彩を放っていたのだという。「面白い。こいつは変な奴だ。」 そう思うやいなや代表は、そのサイトの管理人宛てにメールを送信した─。

以上が、私がこの組織と関わりをもつようになった経緯である。

会合といっても、やることは酒を飲んでわいわい騒ぐことだったりする。

しかし、最近出版された小林よしのり氏による『沖縄論』に話が及ぶと、皆の顔がいくぶん真剣になった。泡盛とポークの匂いが漂う中、様々な意見が飛び交った。

私は次のような意見をその場にいた人々の前で披露した。

「小林氏は「沖縄こそ日本だ」と主張する。しかしこの主張は、かつて「沖縄人」が「無理矢理に」(注1)「日本人」に同化させられたという事実を承知の上でなされているのだろうか? 小林氏は一貫して「沖縄人は日本民族である」という視点のもとで話を進めていく。「沖縄人」が「日本人」に同化させられたことについては一切触れない。「日本人」によって「沖縄人」は沖縄語を使用禁止にされたこと。「ハジチ(=沖縄の女性がしていた入れ墨のこと)」や「はだし」や「毛遊び」も、消えてなくなるべきものとして「日本人」に扱われたこと。すなわち「沖縄人を日本人にするための政策」が推進されたこと。この同化政策について小林氏は一切言及しない。どうして触れないのだろう? 私は小林氏にこの点について質問してみたい。」



小林氏は「沖縄人は日本人だ」という前提のもとで話を展開している。このことは、『沖縄論』を読めば一目瞭然である。

もしも、同化政策の事実(注2)に言及するならば、「沖縄人は日本人である。沖縄こそが真の日本である。」という主張の持ち主である小林氏は、同化政策について、これをどのように説明したらいいのか困るのではないか? だから同化政策に触れないのであろうか? 

同化政策によって、「沖縄人」は無理矢理に「日本人」へ仕立て上げられた。ここでの「日本人」とは、沖縄語ではなく日本語を話し、ハジチをせず、毛遊びもせず、ちゃんと靴を履く人間を指す。したがって、沖縄語を話し、ハジチをし、毛遊びをし、靴を履かない人間は「日本人」ではない。それは「沖縄人」でしかない。「沖縄人」から「沖縄的なもの」を徹底して取り去ろうとする試み。これが同化政策である。

同化政策に触れてしまうと、「沖縄人は今も昔も最初からずっと日本民族だ」という小林氏の主張は破綻する。「沖縄人」が最初から「日本人」であるならば、わざわざ「沖縄人」を「日本人」へ同化する必要はないではないか。同化政策が行われたという事実は、「沖縄人」は「日本人」ではなかったことを示している。だからこそ小林氏は、同化政策について一言も触れないのであろうか?

小林氏が同化政策に一切触れない理由。とにかくこれが一番気にかかる。

自分の主張に都合のよい出来事は選択して、自分の主張に都合の悪い出来事は切り捨てる。私は、小林氏をこのような汚いことを行うような人間とは考えていない。

もしかすると小林氏は、「日本人」によって「沖縄人」が「日本人」にさせられたことを、単に知らないだけかもしれない。

しかしもしも小林氏が、同化政策について全く知らずに話を進めているのならば、それはそれで愕然とする。

なにやら「日本民族」なる確固たる集団が存在していて、その構成員として「沖縄人」がいて、小林氏はひたすら、このことを何の疑いもなしに描く。もしもこのようないきさつで、同化政策について一言も言及がなされないのであるならば、小林氏は単純すぎやしないか?

上記に記載した私の意見は的を射ているだろうか。

周囲の沖縄人たちは沈黙していた。私の意見に同意しているようにも思えたが、私の話を理解できずに私の言葉を反芻しているようにも思えた。

そんなこんなしているうちに、代表が面白いことを言い出した。

「じゃあ、今度、小林氏をゲストとしてお呼びして、討論会を開いてみますか。さっそく小林氏にコンタクトを取ってみます。」

すごい。代表は行動の人だ。


その日に備えて、私は『沖縄論』や、沖縄関係の本を読みまくることにする。

私は第一に、小林氏が同化政策に触れない理由を聞いてみたいと思う。そして次に、「日本人」または「日本民族」なる集団が虚構であり、この虚構に依拠して話をすすめる小林氏のスタンスについて異議を申し立てたいと思う。

こんな私に有用と思われる情報があれば提供してくださると嬉しいので、「民族の虚構性」や「日本民族という存在が虚構的な存在であること」に関連した論文や本についてご存知の方は、書き込みどうぞ宜しくお願い致します。

とりあえず、図書館で小熊英二さんの著作を読み漁ってみることにする。

注1

おそらく、最初は日本の中央政府から「日本人」になれという圧力が「沖縄人」に加えられたのだと予想される。しかし次第に、当の「沖縄人」が自らの習俗や生活習慣を自ら卑下し、率先して「日本人」になろうとしたと考えられる。したがって、「「日本人」は「沖縄人」を「日本人」にした」という捉え方のみでは、不十分である。このような言い方は、複雑な現象の一部分にしか言及できていない。

注2

私はこのような事実があったことを、下記の書物を読んで知った。

冨山一郎 『戦場の記憶』 日本経済評論社 p-27〜p-31

また、沖縄語が禁止させられたという事実について、私は私の祖母から直接話を聞いたことがある。学校で沖縄語をうっかりしゃべった生徒の首には方言札という札がかけられたという。

追記

「沖縄人」や「日本人」というカテゴリーを、ものを考える際の分析枠組みとして採用することに、やや迷いを感じている。「日本人」というカテゴリーが虚構であるならば、「沖縄人」というカテゴリーもまた虚構である。この、曖昧で、人間を区別するという点で非常に排他的な機能を果たす「沖縄人」や「日本人」というカテゴリーを、己の語りに引用すること自体が、もしかしたら重大な誤りなのではないか。私は不安を感じている。間違っているような気がする。だから次のように表現したほうが、本当はいいのかもしれない。

かつて、「沖縄」と呼ばれる南の島々の住人たちは、「日本」と呼ばれる島々に住む人たちによって、さまざまな禁止を課された。「沖縄」に住む人たちによって使用されていた言葉は、その使用を一切禁止された。また、ハジチと呼ばれる刺青や毛遊びと呼ばれる宴会などの習俗も、同様に禁止された。その代わりに、「沖縄」に住む人たちには、「日本」と呼ばれる島々に住む人たちが使用する言葉を習得することが命じられた。逆らうことは許されない。やがて、「沖縄」に住む人たちは、率先して、「日本」と呼ばれる島々に住む人たちのようになろうと、自分たちを改造するようになった。そしていくつもの月日が流れ、「沖縄」に住む人たちは、「日本」と呼ばれる島々に住む人たちと区別がつかなくなった。似たような言葉を話すだけでなく、両者はお互いを仲間として認識するようになった。そして不思議なことに、「日本」と呼ばれる島々に住む人たちは、「沖縄」に住む人たちにかろうじて確認することのできる、古い独特の言葉や習俗を、魅惑的で神秘的なものとしてありがたがるようになった。

どうでもいいけど、上から一方的にああしろこうしろと指図されるのは、うざい。目指すべき理想像を押し付けられ、それに邁進させられるのは、うざい。そして何よりも、目指すべき理想像に近づくことをやがて自ら自分に課し、現在の自分を自分で否定するようになることが一番悲しい。さらに、いつのまにか、かつて目指すべき理想像として誰かに示された「なるべき自分(=「日本人」)」として自分自身を最初から了解し、「やっぱり俺も日本人なんだね」(注1)などと、幸せそうに何のためらいもなく歌えるようになることにいたっては、もはや喜劇であるとしかいいようがない。

注1 BIGENの曲。なんて曲名だったのか忘れた。


重森 2005/08/01/21:55:05 No.89

小林氏に対する疑問と要望と感想を簡潔にまとめてみる。

1、日本人(=日本民族)とは、どのような特徴を備えている人間を指すのか?

ある特定の生物学的特長(遺伝子的やDNAなどの特徴)を持っていること。ある特定の言語を使用できること。ある特定の「文化」的「宗教」的特徴を身につけていること。小林さんは、上記の3点について断片的に言及されていますが、どのような人間を「日本人」と呼ぶことができるのか私は理解できておりません。どのような条件を満たしている人間が、日本人(=日本民族)なのでしょうか?

2、1と関連しますが、日本人、日本民族、日本国民、という三つの用語の定義を聞かせていただけないでしょうか? 1においては私は、日本人と日本民族を同じものとして扱いましたが、実はこのような扱いをしてもよいものか迷っています。

3、小林さんは「参考文献一覧」を付記してくださっていますが、どの参考文献のどのページをどこで引用したのかまたは参考にしたのかを明記していただけないでしょうか? そうしてくださると、小林さんの思考が追いやすくなり、小林さんの見解がより理解し易くなると思います。

4、自国を自国の軍隊で守ることに私も同意します。しかし、その軍隊が、侵略戦争を平気で行うアメリカ軍のような軍隊ならば、いりません。しかし、軍隊を持つ以上、このような希望は、もともと無理な希望なのかもしれません。

5、小林さんは「日清戦争に日本が勝利したとたん沖縄県民の意識は大きく変化した。就学者も増え、標準語や和服・洋服が普及し、日本への帰属心が一気に高まって、日本への同化が決定づけられた。それまで沖縄の男性は「カタカシラ」というマゲを結い、女性は手の甲に「針突(ハジチ)」と呼ばれる入れ墨をする風習があったが、これも日清戦争以降、姿を消していった」(小林 2005)と述べています。ここでは「カタカシラ」や「針突(ハジチ)」が勝手に自然消滅していったかのように描かれています。あるいは、「沖縄県民が自発的に「カタカシラ」や「針突(ハジチ)」の風習を捨てていったかのように描かれています。しかし、「カタカシラ」や「針突(ハジチ)」は勝手に自然消滅したのではなく、また、「沖縄県民」が自発的に捨てていったのではなく、「日本人」が消滅させたのではないでしょうか? 小熊英二さんの『日本人の境界』には、「沖縄在来の風習のうちで、とくに野蛮とみなされたのは男性の結髪と女性の入墨であり、師範学校などで生徒に断髪を強要したケースが多数記録されている」(小熊 2005:41)とあります(注1)。つまり、「日本人」は当時の「沖縄人」の「カタカシラ」や「針突(ハジチ)」を根絶しようと目論み、そしてその根絶が成功したということではないでしょうか? 小林さんは、「「日本人」という自覚のない者を「日本人」に改造」(ibid)せんとする、当時の「日本人」が「沖縄人」に対してもっていた「同化政策」の意図(注2)を、故意に描いていないように思います。

6、とはいえ、私による5の質問には誤りが含まれている可能性が高いと思います。あくまでも推測ですが、日清戦争に日本が勝利したとき、当時の「沖縄人」たちは次のように考えたのではないでしょうか? 「まてよ。もしかしたら、「日本人」になったほうが得あらに?」 そして、このような損得勘定のもと、当時の「沖縄人」たちは、自らすすんで「カタカシラ」や「針突(ハジチ)」をやめ、また、これまで見向きもしなかった「日本語の習得」に取り組んでいったのではないでしょうか? つまり「「沖縄人」を「日本人」にしたい」という「日本人」の目論見と、「「日本人」になれば安全が確保されるのではないか?」という「沖縄人」の目論見が噛み合った結果、「カタカシラ」や「針突(ハジチ)」が消え、就学率も急激に上昇した。私はこのような推測が成り立つのではないかと考えています。「日本人」が一方的に「カタカシラ」や「針突(ハジチ)」を消滅させたのではなく、「沖縄人」もその作業に自ら手をかした。この場合、「沖縄人」は被害者ではなく、共犯者ということになります。

7、したがって、小林さんが「沖縄人」にしきりに読み込もうとしている「日本への帰属心」もしくは「愛国心」などは、もともとどこにも存在しておらず、当時の「沖縄人」は、「命どぅ宝」精神で動いていたと考えられます。今も昔も「沖縄人」は、「利用可能なカードはなんでも使う」という生活力旺盛な人たちなのではないでしょうか。もしも、「沖縄人」が「沖縄民族としての誇り」を持っていたならば、自分たちを「日本人」に改造しようとする「日本人」に抵抗し、その結果、「日本人」に滅ぼされしまったかもしれません。「民族の誇り」よりも「身の安全」。「民族の誇り」で飯が食えるか。今も昔も「沖縄人」は、その場その場で計算しつつ行動しているのかもしれません。

注1

ここでの「師範学校」とは廃藩置県後に明治政府が沖縄に作った学校です。師範学校では、「日本語」が教えられていました。そのため、師範学校の教師は「日本人」であったことが推測できます。この推測を裏付ける証拠を私は持っていません。しかしこの推測には信憑性があると思います。なぜなら、この当時において、「日本語」を教えることのできる「沖縄人」は皆無だったと考えられるからです。

注2

このような意図が、当時の「日本人」に存在していたことを裏付ける資料を、小熊さんが挙げています。小熊さんによると、琉球処分を担当した松田道之は、1879年に、「沖縄県下士族一般に告諭す」という布告において次のように述べているそうです。

「子 [琉球人]等猶ほ悟らすして、旧態を改めさるときは、新県に於ては子等は到底用ゆるを得可らさるものとなし、百職皆な内地人を取り、遂に此土人は一人の職に就くを得る者なくして、自ら社会の侮漫を受け、殆んと一般と区別さるゝこと恰も亜米利加[アメリカ]の土人、北海道のアイノ等の如きの態を為すに至るへし。而して、是子等の自ら招く所なり……」(小熊 2005:33)

小熊さんは松田さんによる上記の文章について、次のように述べています。

琉球人としての「旧態」を改め、「日本人」として大日本帝国に忠誠をつくさないかぎり、「北海道のアイノ」のように「一般と区別」されるであろうと松田は言う。人種的に同一という理由で日本に編入されても、それは「日本人」として認定されたゴールではなく、長い同化の道程のスタートラインにすぎない。忠誠と同化の努力を怠れば、ただちに「一般と区別」される運命が待っている。そしてそれは、区別しようとする側の非ではなく、努力を怠った側が「自ら招く所」だというのだ。」(小熊 2005:34)

もしも、松田さんの文章が、小熊さんによって要約された内容のものであるならば、私は「日本人」に、怒りを覚えずにはおれません。

といっても、「日本人」などという存在はもともとどこにもいません。架空の存在です。虚構です(注A)。ただし、非常にリアルな。

したがって、「「日本人」ではなく、松田さんとその配下の者たちに、私は怒りを覚えずにおれません。」と書いたほうが、適切だと思います。

注A

なぜなら、どのような条件を満たしている人間を「日本人(=日本民族)」と呼ぶことができるのか、誰も明確に提示できないからである。「日本人」の条件を提示できる自信がある人は、是非とも私に提示していただきたい。