水族館劇場「Noir 永遠の夜の彼方に」鑑賞記録

Noir 永遠の夜の彼方に」は、シンプルで真っ直ぐな力強いメッセージのこもった作品であった。

押し潰されて亡くなった、弱い人々に対する想像力を、掻きたてたくて堪らない。あのような状況をどうこうできるような力は、今でもないかもしれないけれど、死んでいったあの人たちに思いをはせてはくれまいかと、真摯に訴えかけてくるような作品であった。

主人公は水子。キリハという名のヒロインは、堕胎により産まれることのできなかった「色のない髪を持つ女」である。「色のない髪」とは何か? それは、ソ連兵にレイプされて身籠らせられた赤子が、もしも産まれてくることができたならば備えていたであろう髪の色のことを指す。

もう一人。主人公と同じような、幽霊のような在り方で登場する人物がいる。名前は明哲。日本の海底炭鉱で過酷な労働を強いられ、そのままそこで亡くなった朝鮮の方。

そして、もう一人の重要な登場人物。鏡子という名の女優。

舞台は現代。「鏡の中の迷宮」という映画の撮影現場にて、鏡子は、映画監督の樽兵による台本に従い、キリハの役を演じている。鏡子にとってキリハとは単なる役名であり、女優である自分自身にとって「演じられる存在」であり、あくまでも架空の人物であった。

少なくとも、鏡子によって演じられる前までは。

終戦後、大陸から九州に引き揚げてきた日本女性たちの多くが堕胎を経験したという。このような話を私はこの劇を通して初めて知った。

また、騙されて海底炭鉱で奴隷のように働かされて、誰にも気付かれぬまま今もそこに放置され続けている朝鮮の人々の話も、この劇を通して初めて知った。

本当に私は世間知らずである。このような、弱くはかない人々の上に、私達の生きる社会が成り立っていることを知らないようでは、「社会人」として失格の謗りを免れない*1

劇を見終わった後、事実としての情報集めを行った。以下のような記事を見つけることができた。どうやら、キリハのような存在や、明哲のような存在は、実在していたと思われる。

http://www.kanpusaiban.net/kanpu_news/no-50/hirao.htm

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j0605-00001.htm


しかし、まだリアリティが薄い。いまいち、確信が持てない。劇の内容を理解して、涙を流したり、胸が締め付けられるような感覚を覚えることはできる。しかし、事実としてこれらの話を受け取ることはまだできていない。

それだけ私にとって、私が現に今生きている社会から、彼らのような存在は、なるべく想像されないように、なるべくリアリティが獲得されないように、うまく遠ざけられているのであろう。何者かが意図して、これらの情報を隠蔽しようとしていると言いたいわけではない。結果的にどうしてか、そうなってしまっているのだ。誰もあまり話題にしないのだ。話題にされないことさえ話題にされないのだ。

リアリティのない話に、誰が本気で耳を傾け、そのことについて真剣に考え、何らかの行動を取ろうと決心することがあろうか?

では、この劇が問題にしていたような、弱い人たちの存在に関するリアリティは、どのようにして喚起され得るのだろうか?

*1:と書いてみたが、いまいちこの文章もしっくりこない。「ソ連兵に孕まされて、堕胎により殺された子どもたちや、海底炭鉱で強制労働させられた朝鮮の人たちが、どのように今我々が生きる社会と関係しているのか具体的に説明してくれませんか?」と誰かに問われたら、返答に窮する。「彼らと私の間には、何の関係もないのではないか?」というようにも思えてくる。彼らにこだわること自体、無駄なことのように思える。しかし。しかしである。「果たしてそうだろうか?」とも思えてならない。複雑系的に思考し、あるひとつの出来事は、無数の様々な出来事が、時系列的・共時的に関与したからこそ初めて生起し得るものと前提したならば、私が今ここで息をしているという出来事は、彼らの犠牲と、必ず関係があってしかるべきである。ただ、そのことを説得的に語ることができない。今は、「関係は絶対ある」という直感だけがある。