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エリクソンのテクニック3

精神病 人類学

父親であるエリクソンに反抗的なエリクソンの次男の話。

エリクソン:ランス、私の2番目の息子がね、ある日お昼ご飯のときに自信満々に言うんですよ、「パパ、僕はパパが言うことをやらなきゃいけない?」って。「無茶なことじゃなければね」と言うと、「僕、晩ご飯食べなくちゃいけない?」って言うんです。私は「食べなくてもいいけど、でも食べたほうがいいんじゃない」と答えました。「うーん、パパは僕に晩ご飯を食べさせることはできないよ」。「そうだね、できないね。お前は食べられるよ」。「パパが僕に食べさせない限り僕は晩ご飯を食べないけど、パパは僕にそうさせることはできないね。」「どうして晩ご飯のことを言っているの、そこに牛乳があるじゃない。パパは、お前に牛乳を飲ませることはできるよ」。「パパは僕に牛乳を飲ませることはできないよ」。「いや、できるよ」。(中略)「パパはできない、僕にこの牛乳を飲ませることは絶対にできない」。「お前は私の言う通りにしなきゃいけない」。「しない」。(中略) そして突然、私は思いついたように、「私の言う通りにしなさい」。「しない」。「しなさい、牛乳飲んじゃだめ!」って言ったんです。彼ははっとしたように私のことを見ました。私が「牛乳を飲みなさい」と言うと、彼は手を降ろしました。「牛乳を飲んじゃだめ、飲みなさい、飲んじゃだめ」。彼は私の言ったことをやらなくちゃいけないし、でも反抗しなくちゃいけない。私は「牛乳をこぼしなさい」と言いました。牛乳をこぼしては、彼の解決にはならないわけです。「コップをテーブルの上に置いて、手を離しなさい」。彼がそうする必要はありません。ここで彼はひっかかりました。彼は牛乳をこぼすことはできません、落とすことはできません、テーブルに置くこともできなかったのです。ひどい拘束だよね。「飲むな、飲め」だもん。
ウィークランド:結果、どうなったんですか?
エリクソン:しばらくして、彼は言ったよ、「パパ、僕負けそう。やめようよ」。(ibid 2001:132-133)

一見してすぐに分かるように、ここで使用されているテクニックは「ダブルバインド」である。

まず、反抗的な次男による「僕はパパの言う通りにしない」という決意を、エリクソンは彼との会話の過程において、「パパの言う通りにしてはいけない」という第一次命令の形態に洗練させ、この命令を次男に意識させている。

次にエリクソンは、「牛乳を飲んじゃだめ」と第二次命令を次男に発する。もしもこの時、次男が牛乳を飲まないままでいれば、次男は第一次命令と矛盾する行動をとったことになり、不快になる。そのため次男は、牛乳を飲めばよいことになるのであるが、今度はエリクソンから「牛乳を飲みなさい」という第二次命令が下される。結果、次男は牛乳を飲むことができない。

そして意地悪なことに、エリクソンは今度は、「牛乳を飲んじゃだめ、飲みなさい」という無茶苦茶でちょっとインチキな第二次命令を次男に発する。この時点では、次男は牛乳を飲まないままでいても、牛乳を飲んでも、どっちみち第一次命令と矛盾した行動をとってしまうと感じ、混乱する。

さらにエリクソンは、「牛乳をこぼしなさい」「コップをテーブルの上に置いて、手を離しなさい」という命令で追い討ちをかけ、次男をいっそう混乱させる。

これは、「牛乳を飲んじゃだめ、飲みなさい」という二つの命令が含まれた命令文を、あたかも一つの命令文であるかのように発して相手を混乱に陥れるという点で、通常の「ダブルバインド」とは若干内容の異なる、「ダブルバインド・ダッシュ」とでも呼べるようなテクニックであるといえる。*1

反抗的な学生の事例。

エリクソン:無礼でいたいと思っている医学生を相手にしているとしよう。彼がこちらに横柄な口を利いてきたら、単純にこう言えばいい。「そういうふうな口の利き方をするのに、どのくらい勇気が必要だったかはわからないけど、それを繰り返す勇気を、君は充分持っているよね」。これで引っ掛かったね。彼はそれを認めないといけないか、それを言う勇気はないということを認めなきゃいけないかのどちらかさ。もしももう1回言ったら、馬鹿みたいに感じるだろうね。「いいよ、君にはそれを2回言う勇気があるんだ。3回言う勇気はあるのかなぁ」(笑)。もし3回言えば、また引っ掛かったわけだ。彼はいったいどうやったら逃れられるか考え込むだろうね(笑)。彼は即座に、やらなきゃ良かった、そんなようなこと言わなきゃ良かったって思い始めるでしょう。こちらは背景に階級を使っているわけです。彼も、こちらが階級を使っていることがわかります。ここでの状況は惨めなもので、彼にできることは悔やむことだけで、完全に混乱してしまいます。(ibid 133-134)

相手の発言を、その相手にとって予想不可能な別の文脈に有無を言わさず埋め込むこと。エリクソンはこの技術に秀でている。

上記のケースでは、どのような口の利き方を学生がしたのかが不明であるが、学生の発言は「勇気がある/勇気がない」という文脈にからめとられてしまい、学生はそこから逃げることができなくなってしまっている。もちろん、「勇気がある/勇気がない」という独特の文脈がここで説得力を持って登場し、そこに学生がからめとられることは、エリクソンの階級が学生のそれよりも上であるからこそ可能となっている。

もしも学生が、階級と勇気の文脈にからめとられつつも、エリクソンに反抗し続けたいのならば、「勇気がある/勇気がない」という文脈自体を話題にすることにより、メタな立ち位置にエリクソンと自分を移行させて、そこで勝負をかけるしかないと思われる。例えば、「先生はどうして「相手をひっかける」とか「はめる」とかいう行為に固執しているんですか? 汲々としていてせせこましいですよ。」と挑発すれば、「ひっかける」「はめる」というような行為をこれまでのように気軽にエリクソンが実践することを幾分防止できるかもしれない。

*1:それにしても、エリクソンは非常に嫌な父親である。こんなパパ嫌だ。