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何か、イデオロギーとは

人類学 沖縄問題

定期的に、那覇のとある喫茶店で開催される、読書会的な集まりに参加している。

毎回テーマとなる言葉を決めて、それに関する本や資料を参加者が読んだり読まなかったりしつつ、ああでもないこうでもないと語り合い、テーマに対する理解を深めている。

この読書会の今回のテーマは、「イデオロギー」という言葉であった。参考になる資料としてテリー・イーグルトンの『イデオロギーとは何か』を私が紹介した手前、その概要を読書会で私が説明する流れとなり、今日は朝から久しぶりにこの本の読解に集中した*1。 

イデオロギーとは何か

イデオロギーとは何か

 

 

イデオロギーとは何か (平凡社ライブラリー)

イデオロギーとは何か (平凡社ライブラリー)

 

パレットくもじの一階にあるブルーシールで、3時間ぐらいかけて内容理解に努めた。この本を触るのは修士の頃に研究室の同期や先輩達と輪読して以来である。やはり、ナポレオンとトラシーのくだりが面白い。イデオロギーという言葉に負の意味が付与される瞬間の物語。これだけで、趣深い映画を一本作ることができるのではないだろうか。

今日はこの物語を中心にして、イデオロギーという言葉の複数の意味合いの解説を行った。 

イデオローグの誕生─ナポレオンとトラシー 

イデオロギーとは、本来は「観念学」という意味の言葉であった。「観念に関する学問」が、イデオロギーの元々の意味であった。「精神のはたらきを重力の法則と同じように予想可能であると信ずるような機械的唯物論を信奉することで」観念学は生まれた(イーグルトン 1996:125)。そのため、イデオロジストとは、「思考の物質的基盤を明らかにしようとする哲学者」(ibid:122)の別名であった。

ところで、マルクスエンゲルスにとって、イデオロギーという言葉は、「観念が物質的世界から自立して存在するという幻想を意味する言葉」である(ibid:125)。ここでは、「人間の観念に関する科学的な研究」(ibid:121)であったイデオロギーという言葉が、異なった意味で理解されているといえる。この転倒が生じた経緯を理解するには、フランス革命時にまで遡る必要がある。

イデオロギー、すなわち観念学という新しい学問を提唱したのは、アントワーヌ・デステュット・ド・トラシーという人物であった。フランス革命時に兵士として戦い、その後の恐怖政治時代に投獄されていた彼が檻の中で発案した学問は、次のような意図に基づいていた。

社会を合理性を基盤に根底から再構築すること(ibid:123)

そして、このイデオロギーという新しい学問の担い手であるイデオロジストたちは、「旧社会秩序の残忍な絶対主義権力を粉砕すべく、これまでの社会秩序はひとびとに宗教的迷信を植えつけるだけだと非難し、麻薬や幻覚の力を借りずとも生きてゆける人間の尊厳というものが重視されるような未来を夢みた」のであった(ibid)。

王権神授説に代表される、当時の支配者である王室の権力の正当性を証明する観念の突き崩しに、この学問が果たした役割は大きかったであろう。イデオロギーの生みの親であるトラシーは、革命後、国家研究所の有力メンバーとなる。フランスの社会改造計画における理論的一翼を担っていたこの研究所は、国民教育の新構想を練り、観念の科学を教育構想の基盤にすえた(ibid:126)。

しかし、この革命的かつ斬新な学問を表す言葉であったイデオロギーに、「現実から遊離した偏った観念」というレッテルが貼られるようになるのに、それほど時間はかからなかった。誰がイデオロギーという言葉の意味を改変したのか。それは、革命の同志であったナポレオンであった。

革命後、いつしか独裁支配を行うようになったナポレオンに、当然のごとく、トラシーらイデオロジストたちは沈黙しない。彼らはナポレオンの権威主義と対立し、かつて王室に行ったように、その支配の正当性に疑問符を突きつけた。それに対しナポレオンは次のように述べた。

「おまえたちイデオローグは、あらゆる幻影をこわすが、幻影の時代こそ、個人にとっても、諸民族にとっても、幸福の時代なのだ」(ibid:127) 

イデオローグとは、ナポレオンが考え出した軽蔑語だという。その意味は、「空理空論家」「夢想家」「政治的権威の根幹をゆるがし、男や女を、心慰める虚構からむりやりひきはなす危険な階級の人間」である(ibid:127)。これ以降、イデオロギーに、「現実から遊離した偏った観念」という意味が生まれ、イデオロジストには、「現実から遊離した偏った観念そのものを喧伝する人間」という侮蔑的な意味が込められるようになる。

イーグルトンによれば、「ナポレオンが観念学者を非難したのは、ナポレオン自身が独裁支配を正当化するときに頼ろうとしていた感傷的なイリュージョンや愚劣な宗教崇拝を、観念学者がとことん脱神秘化しようとしていたから」だという(ibid:129)。

まるで、ナポレオンのセリフは、フロムの『自由からの逃走』に見出せる知見を、支配する側から悪用したかのようなセリフである。フロムは、ナチスを支持した当時のドイツ国民を分析し、「自由な状態に人は耐えられない。人は自発的に考えることを放棄し、権威的なものに自己を委ね、自由から逃走する」と結論したが、このような人々を優しく包み込むかのように、自らの独裁支配を正当化するナポレオンには、恐ろしいものを感じる。

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

 

 イーグルトンは、次のようにも述べている。 

「観念学者に対するナポレオンの批判とは、過度な合理主義には、何か非合理なものがあるということだった。ナポレオンのみるところ、観念学の思想家たちは、理性の法則の探求をおしすすめることで、ついに、みずからの閉じた思想体系にがんじがらめになって、まるで精神異常者のように、現実の実際のありようからかけはなれてしまったということだった」(ibid:131)

確かに、十分理解できる内容である。独裁政治を正当化するナポレオンに気持ち悪さを感じつつも、「そこまで人は、自らの生活世界に懐疑の眼差しを向けることはできないよな。それをもしも徹底すれば、精神異常者のように、日常生活を営むことが困難になってしまうかもな」と頷けるものがある。ナポレオンは、自分自身を批判するトラシーらイデオロジストたちを疎ましく思っていたからこそ、彼らに「現実から乖離した偏った考えを喧伝する者」というレッテルを貼り付けたと考えられるが、「人はそこまで自由を求めない。人は何かに支配されたい(縛られたい)と願う生き物でもあるのだ」ということにも気付いていたように感じられる。イデオロジストは、支配を求める人々と、彼らの前に支配者として君臨したいナポレオンの相思相愛状態に水を差す、単なる目障りで場違いな存在でしかなかったのかもしれない*2

こうして、イデオロギーという言葉は改変された。イーグルトンは、ナポレオンとトラシーの物語を、次のように締め括っている。

イデオロギーという用語は、懐疑的で科学的な唯物論を意味する語から、抽象的で、現実と切断された観念の領域を意味する語に変わってゆく。そして、この語を、まさにこの意味に受けとめたふたりがあらわれる。マルクスエンゲルスである(ibid:131)。 

 そして物語は、『ドイツ・イデオロギー』へと続く。

 

*1:地元の図書館には大型本しか所蔵されていなかったので、大型本を借りた。本当は文庫本で読みたかったのだが。

*2:観念学者と人類学者は似ている。あらゆる観念から距離を取ろうとし、その生成や浸透のメカニズムを研究しようとする点で、彼らは似ている。しかし、この営みとそれに基づいた言動は、観念にどっぷり浸かって生きている人々にとって、突飛で現実離れしたものでしかない可能性が高い。たとえば、割礼の当事者に、割礼の危険性や、割礼の無意味さや、割礼という営み自体の虚構性・無根拠性を訴える人類学者は、割礼を施す側と割礼を施される側の両方が、割礼を心から重視しているならば、彼らの生きる世界を破壊しようとするノイズ的な存在でしかないだろう。このような人類学者が「現実から乖離した偏った考えの持ち主」と言われてしまうことは十分に理解できる話である。