野蛮な思い出


かなり以前に買った『ゆきゆきて、神軍』のDVDを家で見た。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HPKO/250-3363978-9895425

奥崎氏は目立ちたがり屋のように思える。エゴが強い。戦時中の「日本人」全員が奥崎氏のように我が強かったら、戦争を止められたかもしれない。などと一瞬思った。

奥崎氏はかなり乱暴者だ。すぐに暴力を使う。戦時中に上官を殴ることは、おそらく彼にしかできないことだと思う。しかし、すぐに暴力に訴えるのはどうか。暴力に暴力で返すのは、いかがなものか。目には目を、歯には歯をでは単純すぎる。

しかしだからといって、私は暴力を全面的に否定したくはない。

あれはいつだったか、確か中学一年の時だった。

私が通う中学校では、あからさまなパワーゲームが繰り広げられていた。ことあるごとに周囲の男子から殴られ、力を誇示され、いじめの対象にされている同級生がいた。

ある日彼は、なぜか私にからんでくるようになった。私に肩を故意にぶつけてきたり、意味ありげにガンつけてきたりする。私がひるまずに目をそらさずにいると、「お前、俺に勝てると思ってんのか?」と肩をいからせ迫ってきた。

おそらく、力の強い者にいじめられている自分を支えるには、自分よりも弱い誰かが必要だったのだろう。己の傷ついた自尊心を回復させるために、彼は私に目をつけたのだ。弱いものがさらに弱いものを叩こうとしていた。

ついに、いままでは威嚇するだけだった彼の行動が、エスカレートした。「俺のパンチ強いぜ。お前受けてみい」 そう言うないなや、彼は私の腹を殴った。

私はとっさに「ここで何もしなければ、一生この男になめられる」と判断した。動物的な勘である。とにかく何かしなければ、と思った。

腹に不意にパンチをくらって、やや前かがみになった私を、得意気な顔で見下ろしていた彼の右あごに、私の左こぶしがめり込んだ。

殴り返されるとは予想していなかったのだろう。下から上へ振り向きざまに放たれた私の左は、見事に彼の右あごにヒットした。弱いものはやや斜め後ろにのけぞったまま、硬直して動かない。

こちらを振りむいた弱いものの目には、涙が浮かんでいた。

私は非常に優しい男なので、「しまった。泣かしてしまった。」と反省した。皆はひそかに我々を観察している。その皆の前で、涙を見せてしまうことは、中学生の男子にとって辛い屈辱である。反射的に手を出してしまったことを私は反省し始めた(本当に私はいい奴だ。反吐が出るほどいい奴だ)。

涙を目に浮かべつつ、弱いものは急に態度を変えた。なぜか笑顔だ。しかし弱いものは目を真っ赤にしながらへらへらと笑い続けており、非常に気持ち悪い。そして、「ごめんな。ごめんな。ごめんな。ごめんな。」と繰り返す。

(↑「ごめんな。」と謝ったのではなく、「痛いな。痛いな。」と卑屈に笑いながら私に媚を売るような表情をしたような気がする。あの時あの男は。記憶が少しあやふやだ。)

それ以来、弱いものは二度と私にからんでこなくなった。そして気持ち悪いほど、私にフレンドリーになった。遠くで私を見かけると、「しげもり〜!」と笑顔で声をかけてくるようになった。その変わりようには逆に腹が立つほど、弱いものは急に態度を変えた。

私は、弱いものに恥をかかせてしまったことを悔やんだ。しかし、「あの時殴り返していなかったら奴はどんどんエスカレートして、私に対する嫌がらせをやめなかっただろう」ということも確信していた。

暴力が必要なときもあるのではないか。

上記のような私の思想はこのとき形成されたといえる。

しかし、もう少し私が賢ければ、言葉で彼の行動を変えることができたかもしれない。とも思う。

野蛮な思い出だ。

殴り返している時点で、私は非常によわっちいといえる。他人に怯えて恐怖のあまり、取り乱してしまっただけではないか。


重森 2005/08/21/23:01:47 No.95

肝心の『ゆきゆきて、神軍』について、疑問に思ったことを箇条書き。

1、結局、終戦後のニューギニアの戦場で上官たちに射殺された日本兵・崎本徹之助さんは、どのような理由で、射殺されたのだろうか?

ある上官は、「脱走しようとしたから射殺した」と述べていた。

また、ある上官は、「現地の人を殺して食べたから射殺した」と述べていた。

どちらが事実なのだろうか?

2、射殺された崎本徹之助さんは、その後、上官たちに食べられたのだろうか?

3、上官たちは、崎本徹之助さんの遺族に「本当のこと」をけして話そうとしない。彼らは「あなたがたのためだ」「知らない」とだけ答えて、ひたすら逃げようとする。奥崎の執拗な追及によってはじめて、「本当のこと」を話し始める始末。

私は、このような上官たちと一緒に戦いたくない。私は思い込みが激しく、狂いやすいうえに、行動力がある。戦場にてまっさきに、どさぐさにまぎれて、私が彼らを射殺してしまいそうだ。