2007年の夏休みの予定
7/30から8/3までの5日間、夏季休暇を取ることができた。夏季休暇は土日と連続している。合計して9日間、私は自由に時間を使うことができる。
2007年の夏季休暇は、以下のようなスケジュールですごす予定。実りある夏になりますように。親知らずが無事に抜けますように。
- 7/28
宗教的な雰囲気を帯びた和風な曲ではじまるオープニング。
京極夏彦の『姑獲鳥の夏』の前半において京極堂が関口に語った「ダイダラボウシ」の話を思い出した。つまり、言葉(=情報)こそが、現実(自己とか歴史的な人物の存在とかも含めて)を作り出すという話。
素子は、「自分は人間である」という確信が持てない。ロボットなのか人間なのか自分でもよく分からないために、素子は自分の存在そのものに確信が持てない。おそらく素子は人間でありたいのだろう。ゴースト(≒魂、自我、自己)を備えた人間としてありたいのだろう。この場合の人間とは、ロボットと厳密に区別されうる意味での人間である。しかし素子は、ロボットと人間とを明確に分かつための指標であるゴースト(≒魂、自我、自己)なるものに言及し、その重要性とかけがえのなさを認めながらも、他方では、「自己なるものは情報の結節点にすぎない。記憶つまり情報が、他の人とは異なるという意味での自己を、成り立たせているにすぎない」というセリフを口にしたりもする。つまり素子は、ゴースト(≒魂、自我、自己)の有無を、ロボットと人間を区別するための重要な指標とし、かつ、ゴースト(≒魂、自我、自己)は、情報さえあればいくらでも作成可能であるとも考えているのである。
自分自身の存在に確信が持てない素子と対照的なのが、プロジェクト2501である。彼(彼女?)は、一人の人間(ひとつの生命体)として、国外亡命を要求する。「お前は単なる人工知能だ。人間ではない!」と激高する公安6課の人間に対し、プロジェクト2501は、「私とあなたには特に差異はない。DNAも人工知能も、情報の集積という点では同じものである」と答える。「やばいもん作っちゃったよどうにかしてこいつ処分しなきゃ」とあせる公安第6課の人々。彼らはプロジェクト2501を、情報の形で一個の義体に追い詰め、その義体もろとも破壊しようとする。
プロジェクト2501。なんて恐ろしい子。
最終的に、破壊される寸前にプロジェクト2501は、素子との融合を果たす。融合が何を意味するのか分からないが、素子は、融合後、以前の素子とは別のものに生まれ変わったようである。この時点で、物語は終わる。「ネットは広大だわ」という素子による最後のセリフは、自己なるものはあやふやであるがそれゆえ可塑性を具備した絶えず変わりうるものであり、情報の集積であるネットが広大であればあるほど、自己はどのような自己にも成り代わることができることを暗示している。自己というものが、なんらかの情報のユニークな集積であるのならば、情報の宝庫であるネットの広大さと、それへのアクセス可能性は、自己なるものの絶えざる変容・更新・刷新を約束する。物語のエンディングにおいて、素子の顔は晴れ渡っている。なにか吹っ切れたようでもある。「もう自分が人間かどうかとか、自分が唯一無二の私であるかとか、どうでもいいや」と悟ったのであろうか。
物語の中盤で素子が、自分そっくりの人物をビルに見つける場面がある。その時の素子は不安そうな表情をする。そっくりというよりも、服装は違えど、あれはどう見ても素子である。素子は自分が脅かされる不安を感じたのであろう。素子は複数存在しうる。その入れ物に保持された情報が同一のものであるのならば。
香港のような町並みと、もうひとりの素子さん。
「ある程度の情報のストックを持ち、それに基づいて音声なり動作なり筆記などで他の個体とコミュニケーションできる個体でさえあれば、それは人間と呼ばれうる」という視点は、面白い。そういえば、人間とそうでないものを私はどのようにして区別しているのだろう。私が勝手に何かを人間に見立てているだけかもしれず、そこに根拠はそれほどないのではないかと思う。私が盲目の人間であったら、さらにその見立ては、広範囲の事物に適用されてしまうようになると思う。さらに私の聴覚や触覚が使い物にならなくなった場合には、私によって人間と認定されてしまうモノの数は増加してしまうと思う。
思いつき。もしもこの世界が、攻殻機動隊のような世界ならば、憑依現象について、すぐに説明ができるように思う。つまり、憑依は、個体の外部からかけられるハッキングの産物というふうに。
ハッカーの人形使いに偽の記憶を植え付けられたゴミ清掃のおじさんがかわいそうだった。公安の人々に「あなたには妻も娘もいない。あなたは偽の記憶を植え付けられたのだ。」と言われた途端、それまでは確かに娘が写っていた写真に、もはや娘を見ることができなくなったおじさんは、涙を流した。もともと存在していた娘が姿を消したことに涙したのではなく、最初から存在していなかった娘の喪失に涙するところが、とてもせつない。
ほとんどロボット状態の素子とバトーがお互いを(バトーだけか?)異性として意識するところがかわいい。ところでこの世界では、どのようにして子孫は生まれているのだろうか。人工授精と人口子宮の技術で生まれているのだろうか?それともこの世界では、すでにそのような形では人間は誕生しておらず、工場で人工知能を備えたロボットが人間として生産されているのだろうか? 人間として自己を捉えるようプログラミングされたロボットが生産される世界が、この世界なのだろうか? そしてそのうちのほんの一部のロボットが、「自分はロボットなんだろうか?人間なのだろうか?」とたまに悩んだりするということだろうか?
もしもそうだとしたら、非常に面白い。全員がロボットなのに、なぜか皆自分自身を人間であると自覚しているという状況は、非常に興味深い。この場合、人間というのは、ある種の身分や特権階級のようだ。ロボットであることよりも、人間であることが切実に求められる。
思わず私は「沖縄人」というカテゴリーを連想する。ロボットと人間を巡る上記のような状況は、どこにも「沖縄人」など存在しておらず、また、「沖縄人」とそうでないものを区別するための基準もあやふやであるのに、なぜか皆が自分自身を「沖縄人」であると思い込んでいる*1あの島を、彷彿とさせる。
- 7/29
- カラオケに行く。→ 気分がのらずいけなかった。。
- 会社で行う統計勉強会の準備をする。『入門統計解析法』を読み、章ごとにレジュメを作成する。→ 読解中。とりあえず第二章の途中まで進んだ。
- 『オウム―なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』を読む。 → 読解中。村上春樹と消費社会批判というキーワードが出てきて興奮。
- 責任について考えるために、関連本を読む。 → 未着手。
- 『カロリーメイトゼリーアップル』を大量に買い込む。→ 約4800円だった。やってしまった大人買い。
- 7/30
- 歯医者で親知らずを抜く。→ 抜けた。いつのまにか抜かれていた。歯を抜くときよりも、麻酔するときの注射が痛かったので、さらに麻酔用の麻酔を求めたい。
- 読書を進める。→ 続行。
- 7/31
- 8/1
- 歯の消毒をしに歯医者に行く。→ 腫れのピークだと言われた。この夏、一番の太り顔。特殊メイク風な顔で街をうろうろするのもいい経験だ。
- 読書を進める。→ 続行。
- 8/2
- 歯の消毒をしに歯医者に行く。→ 腫れが幾分ひいてきた。しかしまだまだ異常な雰囲気漂う顔である。
- 読書を進める。→ 島田さんによる中沢さんに関する記述には、なんともいえない拘りを感じる。
- 8/3
- 歯の消毒をしに歯医者に行く。→ そろそろ大丈夫そうだということで中止。
- 読書を進める。
- 運送関連の講演会を聞きに某企業に行く(申し込みがうまくいっていれば)。
- 8/4
- 歯の消毒をしに歯医者に行く。
- 読書を進める。
- 8/5
- 歯の消毒をしに歯医者に行く。
- 読書を進める。
*1:思い込みは、根拠を持たないから、強固に保持されうる。根拠が必要な思い込みは、既に思い込みではない。ちなみに、実は私も自分のことを「沖縄人」であると思い込んでいる。沖縄に、18年間滞在していただけであるのに、まんまと私も自分自身を「沖縄人」であると思い込んでしまっているのである。この思い込みはなかなか消えない。非常に厄介だ。