知念ウシ

戦略的本質主義者。

知念ウシさんのことを考えると、真っ先にこのような言葉が頭に浮かぶ。

しかし、と思う。

「この人は本質主義者ではないのか?」とも思ってしまう。

知念ウシさんの服装は、「沖縄人」そのものである。彼女は「琉装」と呼ばれる服装で人前に現れる。

この方の文章を読むたびに私は複雑な心境になる。沖縄口で表現するならば、胸が「わさわさ〜する」*1

明らかに私は恐れている。父親が内地の人間であり、母親が沖縄人である私は、知念ウシの目にどのように映るのだろうか? 何を言われてしまうのだろうか? 「基地を沖縄に押し付けやがってこの「日本人」めが!」と言われてしまうのだろうか?

だとしたらむかつく。もしもこのように言われたら、「お前が本物の「沖縄人」である証拠を見せてみろ!」と怒鳴りつつ、私はこの人につめよるだろう。

このように、知念ウシさんの文章を読むたびに、私はなんともいえない気持ちになってしまう。

しかし、このことよりも気になることがある。

それは、知念ウシさんの戦い方である。

知念ウシさんの戦い方には矛盾がはらまれていないか? 

知念ウシさんは、「日本人/沖縄人」という枠組みのもとで話を進める。そして次のように主張する。

沖縄は日本領沖縄で、植民地で、私たちは日本人扱いされていない
from 「琉装さーに東京歩っちゅん」(上)/知念ウシ/外地からの使者/基地押しつけカッコ悪すぎ

「同じ「日本人」であるのならば、基地を平等に負担せよ。沖縄にばかり基地を置くな」と知念ウシさんは主張する。

しかし、このように主張するのならば、「沖縄人」というアイデンティティーを、わざわざ「琉装」までして、強調する必要はないのではないか? むしろ「沖縄人」であることは隠して、あくまでも「日本人」として発言したほうが得策ではないだろうか?

知念ウシさんは「日本人扱いされていない」と述べると同時に、「私は「沖縄人」です。「日本人」ではありません。一緒にしないでください。」というメッセージも送っているのである。これは矛盾ではないだろうか?

とここまで書いてきて、矛盾しているのは、知念ウシさんだけではないことに気付いた。

日本政府自体がそもそも矛盾している。

日本政府は確かに基地を沖縄に押し付けている。

そのため、沖縄に住む人たちによって、「日本政府の政治家・役人たちは「沖縄人」を「日本人」として本当は認めていない。だから基地を押し付けてくるのだ」と解釈されてもおかしくはない。

日本政府の振る舞いが、沖縄の人たちに「沖縄人」としての自覚を益々感じさせているといっても過言ではない。

私は、知念ウシさんと日本政府の両方に矛盾を見る。

そして、特に知念ウシさんの矛盾に対して、落ち着かない思いを抱いている。

知念ウシさんは、「沖縄から基地をなくすこと」という目的の他にも、「「日本人」と「沖縄人」の違いを認めさせる。「沖縄人」は「日本人」ではないことを認めさせる(つまり、沖縄の「日本国家からの独立」を認めさせる?)。」という第二の目的を持っており、この2つの目的を同時に遂行しようとしているように思える。

この場合、私のような中途半端な存在は、どうすればいいのであろうか?

もしもどこかで知念ウシさんと遭遇した場合、私は「日本人」として振舞えばいいのだろうか? それとも、「沖縄人」として振舞えばいいのだろうか?

それとも、「日本人」でも「沖縄人」でもない胡散臭い存在として、次のようにコメントしたらいいのだろうか?

「沖縄から基地をなくす(or減らす)ために、同じ「日本人」だから基地を平等に分担しようという論理に訴えるならば、戦略上、「日本人」のふりをしておいたほうがよいのでは?」

参考資料 知念ウシさん関係

「ありくり語やびら・沖縄サミットに思う」(9)/ダグラス・ラミス/クリントン演説/ゆがんだ平和のメッセージ

「唐獅子」/知念ウシ(むぬかちゃー)/人質の逆襲

「唐獅子」/知念ウシ(むぬかちゃー)/隣に基地があったら

「琉装さーに東京歩っちゅん」(中)/知念ウシ/「同化」で「お楽」に/このまま着替えませんよ〜

「琉装さーに東京歩っちゅん」(下)/知念ウシ/復帰前に戻らない/独立は沖縄の私たちが決める

「ウシがゆく・〜いま、見て歩記〜」(3)/知念ウシ/ダラムサラー/亡命中の詩人と心通わせ

「ウシがゆく・〜いま、見て歩記〜」(5)/知念ウシ/自己の植民地性/突きつけられる「共犯問題」

「ウシがゆく・〜いま、見て歩記〜」(8)/知念ウシ/アビ・ドゥベ氏に聞く(上)/言語の植民地化脱却を

「ウシがゆく・〜いま、見て歩記〜」(12)/知念ウシ/スタンフォードシンポ報告/女性同士が手をつなぐには

「ウシがゆく・〜いま、見て歩記〜」(13)/知念ウシ/涙の意味/少数派分断 はね返そう

 シンポジウムには、在日朝鮮人三世で人材育成コンサルタント辛淑玉さんも来ていた。辛さんは一貫して私を支えてくれた。例えば講演後、日系白人でスタンフォード大学のスティーブン・重松教授から私が「あなたの英語力の問題なのかもしれないが、あなたは日本人と沖縄人とを分けているように聞こえる。沖縄人は日本人に含まれるのではないか」と言われた時、私が答える前にすっくと立ち上がり叫んだ。「その質問をウシにするのは間違っている。それは日本人にするべきだ。日本人が『日本人は』と言う時、そこに沖縄とアイヌは入っているのか。ウシはそのことを言っているのだ」

 また、辛さんはシンポジウムが終わると私の肩をがしっとつかみ言った。「おまえって特攻隊みたいなヤツだな。捨て身で勝負するんだな」。さらにその後の出来事のなかで私が失敗したりすると、「まだまだ修行が足りないぞ」と私に喧嘩の作法を手取り足取り教えてくれる。こんな辛さんでも、県外移設に賛成だとは明言しない。しかし、反対だとも決して言わない。

from 「ウシがゆく・〜いま、見て歩記〜」(13)/知念ウシ/涙の意味/少数派分断 はね返そう

米・スタンフォード大シンポから見えたもの/島袋まりあ/「県外移設」が日米共犯照射/太平洋を横断する植民地主義

「ウシがゆく・〜いま、見て歩記〜」(15)/知念ウシ/普天間昼塾/沖縄語が創る新鮮空間

「ウシがゆく・〜いま、見て歩記〜」(16)/知念ウシ/「癒やし」の旅/沖縄の状況あらためて思う

*1:←これは本当に「沖縄口」なのだろうか? 自信がない。