岡本太郎

シャワーを浴び、洗濯物を干した後、世田谷美術館に向かう。目的は、岡本太郎の作品を見ることである。

作品展の最初の部屋で驚く。その壁には、絵に対する岡本太郎の思いが綴られていた。私は、その意外な内容に驚いた。

絵を描くことが好きだから、あるいは、芸術で社会を良くしたいという使命感があったから、絵画を中心とした創作活動に岡本太郎は従事していた。岡本太郎という芸術家について今まで私は、このようなイメージを抱いていた。しかし、私が今回の作品展で最初に目にした文章は、このような認識を打ち砕くものであった。

絵に対する岡本太郎の思いは、次のように要約できる。

「幼い頃から私は母から強制的に絵を学ばされてきた。常に最先端の作品に触れさせられ、最高の作品を要求され、そしてその期待に応えてきた。私は絵など描きたくない。今後も、絵を描いていかねばならないと思うと、アンウンたる気分になる。しかし、絵に対するこの鬱屈した感情が、私の創作活動の原動力になっていることも、また事実である。」

岡本太郎は絵画を含め彼自身が好きなことを貪欲に行っていた。これまで私は岡本太郎をこのように捉えていた。そのため、岡本太郎が上記のような鬱屈したものを抱えて絵を描いていたことを知り、新鮮な驚きを覚えたのである。

というわけで、今回の岡本太郎作品展鑑賞により、私の中で岡本太郎は、「芸術家になれという親の期待に押しつぶされそうになりながらも、むしろ親の期待に起因した怒りを、芸術家としての創作活動の原動力にしていた人」というイメージで塗り替えられた。

作品展の最初の部屋から、全ての部屋を巡るまで、なぜか私の頭では、リンキンパークの「Numb」が流れてしまっていた。「他人からの期待」というキーワードが強く心に残りすぎたので、この曲が想起されてしまった模様。

↑「I'm tired of being what you want me to be」という冒頭の歌詞から分かるように、「他人の期待に押しつぶされて自分の感覚が麻痺(numb)してしまうこと」がこの曲のテーマである*1。上記に引用したこの曲のPVでは、「絵を描くことが好きな」女性が、周囲から理解されないこと(つまり、現在の自分とは異なる自分になることを強いられること)に悲観し*2、その感情に起因した怒りをカンバスにぶつけている。つまり、PVの女性は「好きなことをしている」という点で、岡本太郎とは異なる。しかし、「他人の期待に窒息させられてしまう。私は、あなたが思うような私にはなりたくない」という怒りの感情が創作の原動力になっている点において、両者は共通している。なので多分、この曲を頭でリピートさせながら、岡本太郎の作品を見ても、そんなにミスマッチなことではないように思う。

おまけ

芸術は爆発だ


経歴や『森の掟』の解説等。


明日の神話

岡本太郎の作品の中で、私が最も好きな作品。中央の骸骨(=人間)に、原爆に負けないほどの生命力を感じる。

*1:「And I know I may end up failing too. But I know You were just like me with someone disappointed in you.」というサビの部分の歌詞に、最もインパクトが感じられる。「私は結局あなたの期待には応えられないだろう(私はあなたを失望させてしまうだろう)。しかし私は知っている。あなたが私と似たようなものであることを。あなたもまた、誰かに失望されてきたのだ(あなたも誰かの期待に晒され、そしてそれに応えることができなかったのだ)。」

*2:授業中に絵に熱中し、そのことで教師から叱責を受け、おまけに周囲の生徒に笑われハブられ、さらに親からも注意を受ける女の子。彼女の左腕にはリストカットの傷が見える。彼女は明らかに鬱屈している。