開拓作業3日目

「作業は涼しい時間帯にしよう」と反省し、今日は10:00に家を出発しました。

まずは両親の畑の手入れ&観察から。

hatake
両親の5坪ぐらいの畑

今日も青虫を殺害。合計4匹。昨日見つけられなかったのか、それとも、昨日から今日の間に育ったのか。いつもキャベツには青虫がいます。

野口種苗研究所から購入した大丸聖護院大根の芽が伸びています。ひょろひょろしています。

daikon
大丸聖護院大根

季節外れのナーベーラー(ヘチマ)がありました。

nabera
ぶらりぶら下がるナーベーラー

しらんぱーしてキュウリも実っていました。なんで12月なのに実るの?あんた夏野菜じゃないわけ?

kyuri
地面で育つキュウリ

畑の姿は刻一刻と変化していくので、毎日驚きと発見があります。

satoimo
なぜか通路に里芋が

両親の畑の横には、草ぼーぼーの畑が広がっています。

sizen1
草ぼーぼー

「もしかして自然農法?」「いや、単なるほったらかしだろ」と父と会話しながら目を凝らすと、雑草の中にミニトマト発見!

sizen2
ミニトマト

地面すれすれに赤い実がいくつか成っていました。

sizen3
地面に実がなってます

「雑草の中にミニトマトが成っている」という事実に変わりはないのですが、「自然農法」とみなせば腹は立たず、「単なる放置」とみなすと、真面目にやれよという怒りのようなものが生じます。人間の認識は不思議です。

老女にも若い女性にも見える絵や、「まだこれだけある!」と捉えられたり、「もうこれだけしかない!」と捉えることも可能な「コップ半分の水」とかいったものを思い出します。

世界の見え方・捉え方を、自由自在に変化させることができたら、面白いかもしれません。

しかし、あまりに自由で柔軟すぎる視点を身に付けてしまうと、「判断を下すスピードが落ちる」「判断自体が不可能になる」というデメリットもあるかもしれません。

ちなみに父は、草ぼーぼーの畑について「あれは単なる放置だ」と言い続けていました。

両親の畑に水をかけた後、例の原野へ。

genya0
開拓中の原野

倒木がどんどん集積されていきます。

touboku
倒木集積中

だいぶすっきりしてきました。

genya1
すっきり

青空もだいぶ取り返すことができました。

genya2
青空

しかし、森を荒らした罰か、ノコギリで自分の指を傷付けてしまいました。

kega0
ノコギリで傷付けてしまった親指

傷は小さいのですが、血がなかなか止まりません。

kega1
親指の傷と蚊

血が止まらないので、激しい動きは避けて、切り株をならす作業に従事しました。地面からにょきっと伸びた鋭い切り株は危険です。

kabu1
何かの罠のような切り株

kabu2
危険な切り株は小さいものから大きいものまで

kabu3
切り株粉砕中

怪我人がいたこともあり、作業を12:30で切り上げて、本日は帰宅しました。