農作業48日目

今日は9:15からアドベンチスト・メディカルセンターの歯科へ。

神経を取った歯の根付近が化膿し、球状の空間が根の下に形成され、そこに膿が溜まっていることが、レントゲン検査により判明したのが3月頃。別の歯の虫歯の治療が終わり、ようやく本日からこの箇所の治療が開始となりました。

詰めていた銀を取り外し、その下に被せられた蓋をガリガリと削り、針金みたいな細い物体を穴から歯の根の末端まで入れ、歯根の下にできた空間の内壁をゴリゴリ磨く(削る?)というような、書いていて滅茶苦茶痛そうな治療を受けたのですが、神経がないので痛みを感じることはほとんどなく、今日の治療は30分ぐらいで終わりました。

2007年ぐらいに浅草の歯科医院で神経を抜いたこの歯は、治療後かなり痛みました。当時通っていた歯科医院に何度もこの痛みを訴えたものの、「特に異常はない」と言われたため、痛みを我慢して生活していました。しばらくすると痛みは消えたのですが、この時には既に歯の根の下に球状の空間ができていたと考えられます。

膿の溜まった空間が歯の根の下にあり、免疫力が低下した際にそこが再び化膿する危険性があることが今回明らかになったのですが、このような事態に見舞われると、「失いそうになって初めてその有難さが分かるもの」について嫌でも考えてしまいます。歯で食物を噛み砕くという行為がこれまで通り何気なく気軽に遂行できなくなる可能性に直面して初めて、歯で食物を噛み砕けることの有難さや価値を知ることができる。あまりに大きな不幸には耐え切れませんが、これぐらいの小規模な不幸に定期的に見舞われたほうが、鈍感な私は幸せをより多く感じられるような気がします。食事や歩行や呼吸や睡眠等の、普段から当たり前のように意識せずに行っていることを、これらが遂行不可能あるいは遂行困難な状態になる前に、「奇跡」と感じられるようになれば、最終的には、「今のままで断然幸せ」「存在しているだけで幸福」という心境に至ることができるかもしれません。

もちろん、病気や虫歯にならないにこしたことはないです。しかし、これらの経験を経た後では、世界が幾分変化して豊かに見えるかもと言いたいのでした。月並みな意見ですが、心からこのことを実感できている人は健康に恵まれた人には少ないように思えます。

というような思考を歯科医院で大口開けながら巡らせた後に、原野の畑へ。

今日の作業

  • 原野の畑
    • ボンデローザトマトと世界一トマトを支柱に結わえる(by私)
    • 溜池Gの作成(by父)
    • みやまこかぶの収穫(by父)
    • ミニトマトの収穫(by母)