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アフロレゲエという名の稀有なNGO

労働問題 雑記

昨晩、偶然BSで「リオ闘うスラム街~暴力と貧困からの脱却~後編」というドキュメンタリーを視聴した。麻薬密売組織に積極的に働きかけて、彼らの更生の手助けを行うNGOの活動にスポットをあてたドキュメンタリーであった。

http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/140527.html

「アフロレゲエ」という名のそのNGOのメンバーは、元麻薬組織のボスや幹部であるため、どのような手法でどのような心理的な駆け引きをして、組織が構成員を増やしていくのかを熟知している。この経験に裏打ちされた知識が、リオのコミュニティの平和のために生かされていることが非常に興味深かった。

日本の文脈でアフロレゲエの活動を分かりやすく説明するならば、「ヤクザの元組長や元No2がNGOを組織して、ヤクザの更生に従事しているようなもの」といえそうである。しかも、過去に抗争を繰り返し、殺し合いをしていた複数の組の幹部が、現在は1つのNGOで仲良く協力して活動しているという信じられない状態といえる。

このNGOのリーダーは「頭の良いラッパー」という風情の人物で、一つ一つの言葉に力が感じられた。暴力に関する一言一言が的を射ていた。たとえば彼は、「警察も麻薬組織も結局同じだ。どちらも暴力的だ。紙一重の存在だ」と述べる。全くその通りだと思う。リーダーの発言からは「暴力に暴力で蓋をすることのリスクへの配慮」が感じられた。

「キャットフェイス」という異名を持つ、元麻薬組織の幹部の男も印象深かった。ニコニコ笑っているが、「多分この人、過去に何人か実際に人を殺しているな」と思わせるような哀しさを、柔和な笑顔の裏から醸し出していた。キャットフェイスは「麻薬組織で活動していた頃は、毎日居所を変える必要があり、家族とも過ごせず辛かった」と語った。

「あの時あいつを銃で殺そうとしたのに、Aに告げ口されてまんまと逃げられてしまった。Aがあいつに逃げろと伝えなければ確実に殺してたよ。あははは。」と、過去に人を殺し損ねたことを、Aという元幹部の女性と、今は笑いながら回想する元幹部の男性、という「笑うに笑えない場面」も印象深かった。まるで映画や小説のような状況である。

見ていてすぐに気付くことは、このNGOのメンバーが家族を大事にする点である。リーダーは、弟を抗争で亡くしたことを、キャットフェイスは、家族と過ごす時間が持てなかったことを、現在のNGO活動に携わる動機として語る。他の元幹部にも「家族と普通に暮らせないことの苦痛」を訴える者がいた。「家族と一緒にいたい」という思いが、麻薬密売組織からの脱却を動機付けている。ひとまずこのようにいえそうなのである。

では、家族のいない、あるいは、家族に憎しみの情しか抱けないギャングは、どうなるのだろうか。このNGOはこのような孤独な魂をも救うことができるのだろうか。このような疑問が番組を視聴している私の頭に浮かんだ。

この点に関して、かつてリオ全体の200以上の麻薬組織を統括していた元幹部の発言が示唆的であった*1

「かつてのギャングはコミュニティの治安維持に尽力していた。だが今の若い奴らは違う。リーダーになることばかりを欲している。」

この「リーダーになりたい」という欲望は「己の自尊心を満たしたい」という欲望であるように思える。

かつてのギャング達は、家族に対する愛情を有していたからこそ、自分達のコミュニティの治安維持を重要視できていたのではないか。そして、現在の若いギャング達には、この家族への愛、言い換えれば、自分にとって重要な他者が生活するコミュニティへの愛着が、もしかしたら欠けているのではないか。だからコミュニティの治安維持を完全に無視して、抗争に明け暮れるのではないか。あるいは、もしかすると、何らかの地理的社会的影響により、現在の若いギャング達にとっての家族の範囲が、以前のそれよりも極端に縮小し、彼らは半径2メートルほどの狭い範囲の人間にしか、家族愛を感じることができなくなったのではないか。もしくは、最初に思いついた予想に近く、現在の若いギャングには孤児が多かったり、独身者が多かったりして、両親や兄弟や恋人や子どもなどの、かけがえのない家族なるものが、最初から存在していないのではないか。

などと、様々なことを私は考えた。

昨晩偶然視聴したこのドキュメンタリーは、暴力と家族とコミュニティについて様々なことを考えさせる、非常に良質なドキュメンタリーであった。機会があれば前編も是非視聴したい。

日本にもないのかな。アフロレゲエのようなNGO

*1:この人物はまた、次のような良いセリフも口にしていた。「コミュニティのボスは住民であるべきで、警察や麻薬組織ではない」