現在、自然農法や自分の生き方についてぼんやり考えていること

沖縄に帰郷して以来、畑で野菜を育てるという実践を独学で行っていたのだが、去年の夏頃から西原町耕作放棄地再生事業に参加し、慣行農法による農業に初めて従事するようになり、それを今も続けている。

最近は、しまらっきょ畑の雑草抜きばかりしている。雑草を抜きながら色々と考える。「なぜ私は雑草を抜く必要があるのだろうか」という問いが、雑草抜きの作業に取り組む私の頭の中をぐるぐると回る。

「しまらっきょの葉に日光が届きやすくなるように、お前は雑草を抜いているのであろう。植物の成長には日光が必要だということは、小学校で習ったことではないか」という声がすぐに私の頭に響く。

しかし、雑草に埋もれたしまらっきょは、それほど発育が悪そうには見えない。むしろ、しっとり濡れて、生き生きしているように見える。

また、雑草に覆われた地帯の土には湿り気があり、てんとう虫やコオロギやバッタやダンゴムシなどの生き物がいて、そこには生命の気配が感じられる。雑草を抜いて、太陽光に容赦なく晒されるようになれば、この楽園は消滅を余儀なくされるであろう。ここで、「これら土壌の生命達は、しまらっきょの生育にプラスの効果を及ぼしている可能性はないか」という考えが私の頭をよぎる。慣行農法においては、雑草は敵であり、一掃してしかるべきものとされる。しかし、上記のような生命の気配は、雑草を一掃することを私に躊躇させる。

また、次のような疑問も浮かんでくる。「様々な雑草を根絶やしにし、しまらっきょだけが地面に大量に生えている状況を作ることは、しまらっきょ自体に悪い影響を及ぼすのではないか」。

多種多様な生き物が住む生態系では、これらの生き物同士が拮抗し合うことでお互いの過剰な増殖が抑制され、生態系の生き物の分布量がバランスよく保たれると聞いたことがある。これが本当なら、しまらっきょオンリーの畑では、特定の害虫が増えすぎたり、特定の雑草が増えすぎたり、特定の微生物が増えすぎるというような現象が生じ、それがしまらっきょに負の影響を及ぼすのではないか。

というようなことをうだうだ考えながら、最近の私は雑草を抜いているのである。

昔から私は、自然農法に興味を持っている。化学肥料や化学農薬に頼らずに、作物を栽培する自然農法は、「環境に優しくて合理的」というイメージとともに、「なんて金のかからず、楽そうな農法なのだろう」という感動を、私に与えた。

そのため、沖縄帰郷後の私は、自然農法的な農業を自分なりに実践してきた。

このところ、農業で生きていくのか、それとも、塾講師として生きていくのかを、真剣に検討している。正確には、今後どうやって生きていこうかと真剣に検討している。「放射能からとにかく距離を取らなければ」という一心で会社を辞め、東京から沖縄に帰ってきた当時は、「生きてるだけで丸儲け」的な幸せの中に私はいた。しかし、帰郷から2年が経ち、実家に寄生しながら、年収60万の生活を送っている自分自身のあり方に、「これでいいのだろうか?」という疑問を次第に感じるようになった。

私は現在、農業従事者兼塾講師という半農半X生活を送っているが、どちらも内容が中途半端である。

まず、農業についてだが、農業といっても、はっきりいって趣味の菜園の域を出ていない。自給自足が完全に達成できているわけではない。冒頭で書いたように、しまらっきょの栽培に精を出す毎日なのであるが、これは去年の11月頃から着手したもので、これらの収穫物による利益が手に入るのはまだまだ先の話だ*1。それに、農作業の大部分は、私ではなく、父が担っている。塾の講義準備に追われている私は、農業に時間を割くことができず、「農業に従事している」と人にいえるほど農業に関与できていない。

去年の12月、私は35歳になった。正直なところ、歳を取るたびに、「自分は、このまま、ちゃんと生きてゆけるのだろうか」という不安が募る。具体的には、今後も継続してある一定の額の現金を稼ぐことはできるのだろうかという不安がある。現在の私の収入源は塾講師である。私は小論文や志望理由書の指導には自信があるが、現代文や英語の指導にはそれほど自信はない。東大や京大に受かるほどの学力は私にはない。偏差値60程度の大学に受かるのがやっとであるように思う。つまり、私は塾講師として非常に優れているわけではない*2。中の中という感じだ。

日本語や英語で書かれた文章を読むことは、これまで継続して行ってきたことであり、苦ではない。この経験を生かして、塾講師として案外スムーズに生きてゆけるかなと楽観視していたのだが、日本語や英語の文章を読む作業を大量にこなしてきたことと、現代文や英語の試験で高得点を取得できることは直結していないことを実感している。全問正解を100点とすれば、センター試験の現代文や英語の試験問題の私の平均点は70点〜80点ぐらいであろうか。100点を取得できる時もあるが、いつも取得できるというわけではない。農業に時間が割けるようにと*3、私はあえて非常勤講師という知的日雇いの境遇に身を置いているのだが、この身分が今後も維持できるかどうかは分からない。平均点100点の一流の塾講師ならともかく、中の中レベルの塾講師であれば、代わりはいくらでもいるだろう。今はまだ仕事があっても、40歳になっても出番はあるのだろうか、50歳になっても出番はあるのだろうか、という不安がある*4

そこまで深刻に思い詰めているわけではない。しかし、「自分のこれまでの経歴を生かして、それほどコストを新たにかけることなく、理不尽なハラスメントの極力少ない労働環境で、過労死しないぐらいの努力を行い、スムーズに一定の収入を得る方法はないものだろうか」ということを日々考えながら、最近の私は色々と情報収集をしている。

私にとって、農業の仕方について考えることは、今後の自分自身の生き方を考えることとリンクしている。お金がかからず、過剰な負担もかからない、効率的な仕方。それを農業においても自分の仕事においても私は実現させたいのである。

そんな私が今朝、ベットでうとうとと考えたことは、だいたい以下のようなことであった。なんだかいたずらに論文調であるが、せっかく思いついたので、覚書として記録しておく。

除草剤や化学農薬や化学肥料を使用する従来の慣行農法によって栽培された農作物の収穫量とその質を、いわゆる自然農法と呼称される農法によって栽培されたそれらと比較し、慣行農法と自然農法それぞれのメリットとデメリットを科学的に検証してみたい。


その際、土壌中における微生物の種類やその量、そして農作物が持つ免疫機能、農作物周辺に生息する昆虫類の種類と量と分布とに注目し、これらが農作物の収穫量や質に与える影響を正確に把握したい。


これまでにも慣行農法と自然農法の比較は行われてきたようであるが、土壌の微生物の状態や、農作物が持つ免疫機能や、農作物の周辺に生息する昆虫などを変数とした生態学的な視点からの科学的検証は、皆無に等しいと考えられる。


たとえば、下記リンク先では、農薬や肥料を使用しなかった場合の農作物の収穫量が掲載されているが、土壌環境がどのような状態で実験が行われたのかが記載されていない。土が微生物に富み、作物がその土から栄養分を十分に手に入れることができていれば、自己免疫力を最大限に生かして、病気や害虫に打ち勝てた可能性がある。もしも多種多様な雑草が周囲に生えていて、周囲に様々な昆虫達が生息していれば、彼らの一部が益虫として、害虫を駆除することも期待できるだろう。


http://www.jcpa.or.jp/qa/a6_17.html


また、上記リンク先では、農作物の味や品質に関する記載もない。農薬や肥料を用いて作られた作物の味と、無農薬・無肥料で作られた作物の味には、違いがあるはずである。農作物は商品となるので、この点の把握は重要だ。


近年、化学農薬や化学肥料を一切使用しないリンゴ栽培家の木村秋則氏の実践が話題となり、自然農法に対する注目が高まっている。木村氏のリンゴ園の土壌とリンゴの木を研究対象とする研究者は多数存在しているようであるが、これらの研究によって明らかにされた知見を、私は寡聞にして知らない。


おそらく、無化学肥料・無化学農薬で農作物が栽培できることは事実であろう。しかし、農業従事者にとって最も重要なのは、それで果たして生活が成り立つのか、食っていけるのかという点である。自然農法は慣行農法より、どの点でどのように優れているのか。それを選び取るメリットはどれほどのものなのか。


これらの疑問の答えを農業で生きることとの兼ね合いから明らかにする必要がある。農作物の味や安全性は確かに大事であるが、自然農法にかかるコストや、それによって得られる収穫量と利益も重要である。趣味の農業ならともかく、農業を仕事にするのであれば、費用対効果の良し悪しの把握が必須である。


従来の慣行農法と比較して、自然農法が、経費がかからず、肉体的な負担が少なく、自然環境への悪影響も小さいうえに、味が良く、安全性の高い農作物を、一定量確実に栽培することができる農法であれば、慣行農法から自然農法に移行する農業従事者の数は、次第に増えてくるはずである。


本やTVでいくら木村氏の功績を拝見しても、農業従事者が自然農法に全面的に移行することは難しいだろう。たとえ様々なデメリットを引き受けなければならないとしても、従来の慣行農法で生活していくことが可能であるならば、それを採用し続けるのがどう考えても無難だからだ。失うものは何もない。


必要なのはエビデンス。証拠だ。それも、統計学的な有意差が確認できたという証拠。今はまだ、このような証拠が少なすぎる。従来の慣行農法にくらべて自然農法が経費や収穫量や効率の点で優れていることに確かな裏付けを与える科学的な研究。これがより盛んに行われて、結果が公表されることを私は切に願う。


木村氏の「偉業」を、TVや雑誌で拝見することは、非常に楽しいのだが、農業従事者であればこそ、生活がかかっているからこそ、いくら魅力的であっても、自然農法にはすぐに飛びつけない。


http://v.youku.com/v_show/id_XNDE5MjM3MDky.html

*1:そして利益がどれほど入るのかは未知数。そもそも利益が出るのかどうかも未知数。出荷時期により、野菜の値段は大きく変わる。そういう意味で農業はギャンブルに近い。

*2:だからといって、全然駄目というわけでもないのだが。

*3:最近は、受け持つ講義の数が増えて、思ったよりも農業に関与できていない。

*4:この不安があるからこそ、塾の講義準備に必要以上に力が入っているのであろう。