ブックカバーチャレンジ4日目:構造人類学

4日目。『構造人類学』著者:レヴィ・ストロース

構造人類学

構造人類学

 

大学の卒業論文でお世話になった本です。

卒論では、呪術と呼ばれる行為の実際的な効果を論じる際に、『構造人類学』の「象徴的効果」の章から、クナ族の難産治療儀礼の具体的詳細を引用しました。

この治療儀礼は、ネレガンと呼ばれる精霊的な存在が産道を歩いていくというイメージを、言葉を駆使して施術師が妊婦に持たせるという、特に胡散臭さを感じさせないイメージ療法です。

しかし、論文には引用しなかったのですが、私が最も恩恵を受けたのは、『構造人類学』の「呪術師とその呪術」の章でした。

これは、北米先住民クワキウトル族に関する事例報告です。ここでは、呪術師に胡散臭さを感じていた若者ケサリードが、そのイカサマを暴くために呪術師に弟子入りしてそのテクニックを学ぶうちに、欺瞞性を感じながらもやがて自分自身が本物の呪術師になってしまう、というアイロニックな過程が描かれています。

ケサリードが学んだテクニックはトリックだらけであり、明らかな詐術なのですが回復者が続出します。次第に評判が高まり、噂を聞ききつけて腕試しを挑んできた他の呪術師を負かして気を狂わせたりと、物語的要素に事欠きません。

この章は、論文というよりもエッセイに近いものの、非常に魅力的であり、呪術の本質が見事に炙り出されているように思えました。

実はこのケサリードの話は、人類学者ボアズの報告した事例をレヴィストロースが詐術的にリメイクしたものであることが、後に明らかになっています。

ボアズのオリジナルの報告事例との齟齬は、下記の論文で多数指摘されており、そこではケサリードはボアズのインフォーマントであるジョージ・ハントというイギリス人の血を引く人物であることや、ボアズの報告文から文脈を無視して都合良く言葉を抽出しているレヴィ・ストロースの詐術的テクニック等が露わにされています。

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/.../hamamoto0310.pdf

呪術というものがそもそも、他者に見えている世界に適合した言葉や動作を駆使して何らかの「超常性」「卓抜性」「魅力」「威力」を演出し、この常識を超えた手段や力の「見掛け」によって他者に影響を与えて病気回復等の「本来の目的」を達成するものなのであれば、レヴィ・ストロースもまた、彼のファンの求める魅力的な物語を提示する手際の鮮やかにおいて、1人の呪術師といえるのかもしれません。

世界観を共有していない部外者(幻想を共有していない他者)から見て詐術としかいえない方法であっても、それで確実に結果を成し遂げる呪術師であれば、詐術を恥じる必要も、詐術で断罪される理由もありません。

なぜなら、結果が全てだからです。効くか効かないかが重要であり、イカサマであろうが本物であろうが、実効性が全てだからです。本物であっても効かないなら意味がありません。

レヴィ・ストロースは実際見事に多くの読者を魅了しました。また、彼の名前に言及して何かを語れば、それだけで説得力が醸し出されもします。レヴィ・ストロースという名前自体が、特定の集団においては、ある種の力を備えた呪文なのです。これは彼が権威化しているからなのですが、自分を権威化させる詐術に彼が長けていた結果でありましょう。

しかし、「嘘でも何でもいいから魅力的な物語を提供して欲しい」「ねえねえ何か面白いお話して」というような要望を受けてレヴィ・ストロースは『構造人類学』を書いたわけではありません。

学術書という位置付けで出版された本で詐術を駆使したレヴィ・ストロースは、研究者としてかなり危ういです。

レヴィ・ストロースが、たまに近所に現れる紙芝居のおじさんや、小説家なのであれば、詐術をいくら駆使しようと何の問題もないのですが。

ところで、『構造人類学』は、学術書なのでしょうか。

私はよく分かりません。出版社が自由に決められるのでしょうか。大学や学会がお墨付きを与えた本が学術書となるのでしょうか。「学術書という位置付けで出版された本で詐術を駆使したレヴィ・ストロースは、研究者としてかなり危ういです」と書いたものの、『構造人類学』が学術書なのかどうか分からないので、レヴィ・ストロースに危ういと言っていいのか自信が持てません。

ただ、現実的に、人類学関係者の間では、レヴィ・ストロースは崇拝対象に近いものであり、図書館や論文でも名前を頻繁に目にするものであるし、実際論文で彼の名前や論考に言及しつつ自分の主張を述べたりすると、すんなり周囲が認めてくれたりするので、私は卒論を仕上げるという目的を達成するために、『構造人類学』を利用しました。

呪術師が呪術を師から学ぶように、私も人類学徒として人類学を師から素朴に学んだといえます。

良くも悪くも、『構造人類学』を卒論執筆時に読んだことで、私の卒業論文は、レヴィ・ストロースの「呪術師とその呪術」の影響を多分に受けるものとなりました。

論文は、たまたま私が潜入したインドネシアのレンボガン島の呪術師コミュニティで、どのようにして呪術師達が自らの治療呪術に臨場感を持たせているのかを、彼等の「詐術的」な実践に注目して描くものとなっています(もちろんここでの「詐術」はポジティブな意味で使っています。病を治したいという要望を持った患者さんの病を治すことを目的にした「詐術」です)。

あの島で私は呪術師見習いとして、サクティという超常的な力を駆使して、何人かの患者さんを治療し、感謝されました。

もう20年も前の話ですが、あの島へ帰れば私は再びサクティが使えるようになるのでしょう(外部の人から見ればインチキにしか見えないでしょうが、治る人は実際にいるので問題なしです)。