いかにして事実は特定されうるのか?

高校歴史教科書で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」への日本軍関与の記述を修正・削除した文部科学省について。

教科書検定問題というのは事実検証の問題」という仲里氏の意見に私は全面的に同意する。「検定調査審議会の専門家が決めたもので撤回できない」とする文部科学省は、日本軍関与の記述を修正・削除できる根拠を、早急に提示して欲しいと思う。またその際には、根拠が根拠足りている理由も、併せて提示して欲しい。

いかにして事実は特定されうるのか? この方法自体が明らかにされない限り、私はどのような記述も事実として認めない*1

*1:同様の理由により、「日本軍が集団自決に関与した」という従来の記述も、私は事実として認めない。集団自決の当事者による証言は、集団自決への日本軍の関与を裏付ける証拠として、そのまま受け入れられるべきものなのであろうか。もしもそうであるとしたら、このことを保証する更なる証拠が欲しい。証言者の証言を、そのまま事実として認める行為は、あまりにもナイーブである。酷な言い方だが、「いかにして事実は特定されうるのか?」という問いにまずは向き合い、事実検証の方法について徹底的に議論し、「証言者による証言は、事実を特定するという作業において、どのように位置づけられるのか」を明らかにすべきだと思う。私は事実が知りたい。「様々な解釈が成り立つ」という「藪の中的」もしくは「羅生門問題的」発言は聞きたくない。あの時、何があったのか。誰が何をしたのか。誰がどのような動作をしたのか。何を喋ったのか。このことを知りたい。だからまずは、文部科学省側の研究者と、彼らに反対する沖縄県議会の方々が、「事実を明らかにするために採用している手法の全貌」を、それぞれ、あますことなく開示して欲しい。