ブックカバーチャレンジ6日目:秩序の方法

6日目。『秩序の方法』著者:浜本満

著者が私の修士時代の指導教官であり、今でも交流の続いている友人でもあるので、この本について文章を書くと、時を忘れて長文を書かざるを得なくなり、日常生活が停止してしまう恐れがある。

そのため、この本が言外に示していると思われるメッセージと、それへの私の反応のみを、抽象的に記すにとどめる。

著者は本書において、

幻想や虚構等の言葉で表現される「作られたもの」に縛られている状態、あるいは、「作られたもの」に自分が縛られていることすら自覚できない状態が、一般的なのであり、かつ、この呪縛は決してネガティブなものではない。人の生に方向性を与え、この世界では何が可能でどのようにそれを行えばいいのかかを規定する「支え」となっている。幻想や虚構が特定の権力者を利している場合もあるが、権力者さえ幻想や虚構という母にしっかり支えられて生きているほどに、幻想や虚構ありきで人間の生の営みは成り立っている。ことさら、幻想や虚構から自由になる必要はないし、これらから自由になるべきだともいえない。傍から見て幻想や虚構としか思えない現実がいかにして生きられているのか、その複雑な機序をクリアカットに記述すること。これが、人類学者としての私の仕事である。幻想や虚構から目覚めよだの幻想や虚構を自覚せよだのといった台詞はおこがましくて絶対に言いたくないし、言うつもりは毛頭ない。

という言外のメッセージを送っているように私には受け取れた。

当の私は、「自分は何らかの重篤な精神の病に罹っている」と考えて、これを治すために呪いや呪術といったテーマを研究している人であり、

自分の病は、自分が何らかの幻想や虚構に縛られているからこそ生じている

という見立てを行っていたため、ゼミやプライベートでも、著者に対して、次のような反論(抵抗?)ばかり行った。

私は幻想や虚構から自由になりたい。幻想や虚構に縛られているからこそ生じる苦しみや悩みや悲しみがあることに我慢がならない。幻想や虚構をきっちり相対化して、自分が生きる幻想や虚構を、自分で主体的に選べるようになりたい。そうなれるには、どうしたらいいのか。人が特定の幻想や虚構に呪縛されるプロセスを踏まえて、人が特定の幻想や虚構から脱していくプロセスを私は明らかにしたい。

当然のごとく、著者との一対一での激論(?)が何度も交わされた。

何度か衝突を繰り返し、両者は次のことを確認するに至った。

我々の研究対象は同じだが、ベクトルが正反対だね~。

ゼミ中に激突ばかりし、研究のベクトルが正反対だったとはいえ、二人の関係は概して良好なものであった。

私が持っている本書の裏表紙には、著者による次のような直筆サインが刻まれている。

まいど!