複雑な現象を複雑なままクリアカットに記述(把握)すること

Cocco先輩が沖縄の基地について何か書いている。

楽園

私の従姉妹たちは、沖縄人の母と米軍兵士の父との間に生まれたので、彼等もアメラジアンということになるのだろう*1。あまり深く聞いたことはないが、従姉妹たちは、自らの存在そのものについて悩み苦しむことはあったのだろうか?

私は、基地の存在を疎ましく思う。

ヘリは民家に落ちるし、米兵が少女をレイプするし、PCBや水銀で土壌が汚染されるし、はっきりいって迷惑だ。

しかし、基地返還よりも先にやるべきことがある。

まずは、基地と沖縄経済の関係についてその複雑なありさまを、けして単純化せずに複雑なまま、把握することに徹するべきだ。

複雑な現象を複雑なままに記述することさえできないならば、下手に動かないほうがいい。かえって迷惑だ*2

Cocco先輩の文章を読むと、与那原恵さんのことが頭に浮かんだ。以下、やや長くなるが、与那原さんの文章を引用する。

 基地問題などを抱える沖縄にただ頭をたれる気持ちにならなかったのは、この土地に多彩な文化が根付いていることを知っていたからだろう。かといって、沖縄は面白い、楽しいところだと無邪気に書く気もなかった。また基地周辺に生まれ育った友人が増えるたびに、基地問題とは多様な現実が複雑にからみあっていることを知った。基地返還を訴え「おきなわの心」とひとくくりに論じられることにも違和感を覚えずにはいられなかった。
 私なりにその違和感を文章にしてきたつもりだったが数年前、沖縄の新聞記者にこう言われたことがある。「あなたは沖縄にとって"異物"ですからね」。
 それは少なからず私にはショックな言葉だった。子供のときは東京で沖縄人という異物で扱われ、長じて沖縄人に異物と言われる私はいったいなんなのだろう。
 しかし私は思い直した。ものを書くということは「異物」でなければならないのだ。誰もが納得する物言いや、疑問を差し挟めないような「正義」に異論を唱えることが私の仕事なのだと思い定めることにした。それが日本人でも沖縄人でもない私の役割なのだろう。
 先日、議論を呼んだ平和祈念資料館を訪れた。暗いガマのなかで身をうずめる家族と銃剣を持つ日本兵。その銃剣の先が当初の沖縄住民よりずらされたことで、日本兵の残虐行為を隠蔽すると論争になった展示だ。
 この展示を見て私がまず感じたことは「この日本兵とは何者だろう」ということだった。鬼のような顔をした日本兵だが、その多くが時代のなかで徴兵された人々だ。戦場に赴くまでは素朴な農夫だったかもしれないし、実直な職人だったかもしれない。大事に思う家族もいたことだろう。そうしたひとりの人間を変えてしまう「戦争」とは何なのか。
 日本兵の残虐行為があったことは事実であるが、それが沖縄戦のすべてだったのだろうか。濃密な共同体を持っていた沖縄社会でも自ら殺し合うように「集団自決」した例も少なくない。ごく普通の人間たちをそのような狂気にからめていく「戦争」とは何か。
 日本人は悪、沖縄人はその犠牲という構図ではなく、それぞれの「人間」という視点でとらえなおすことが沖縄で戦争を考える意味なのだと思う(与那原 2004:85-86)。

単純な構図に人は弱い。

シンプルであればあるほど、人はその構図に引き寄せられる。

例えば、基地について言うならば、「米軍基地こそ諸悪の根源だ。沖縄の人たちは基地に苦しめられている。従って基地反対を訴えることはいいことだ」というシンプルな構図がある。そしてこの構図を妄信し、やみくもに基地反対を訴える人がいる。

これでは駄目だ。

基地なしではもはや生活がなりたたない沖縄人もいるという現実を、まずは正確に把握するべきである。

 地元新聞も全国紙も「一坪反戦地主」については取り上げるが、三万二千人の個人の軍用地主の実態を明らかにすることは少ない。(中略) 軍用地料は、沖縄の県民所得平均二〇七万円(全国平均の七割)からすれば、高い。そのうえ地代は確実に値上がりしていくわけで、たとえ返還されてもこれに代わる収入は現在の沖縄では見込めない。地主たちが「土地は返還されなくていい」と言う背景には、こうした事情がある。
 また、基地のある中部自治体の歳入総額に基地関係収入の占める割合は高く、恩納村二四%、宜野座村三四・四%、嘉手納町二十五・四%である。(中略) また、沖縄県自体、県外収入の五七%が国からの補助金で、次に観光収入の一七%、そして軍関係が八%の順となっている。国からの補助金が「基地」あってのものだとは、多くが指摘するとおりである。経済の面からすれば、自立する沖縄は遠い(与那原 1997:128-130)。

今、基地がなくなってしまったら、一体何が沖縄経済を支えるのか? 我々はまずは、複雑な現象を複雑なまま記述(把握)し、作戦(=論理)を練ることに徹するべきではないだろうか?

与那原さんがその著書に引用している、歴史家の高良倉良の言葉に、我々は耳を傾けるべきではないだろうか?

「沖縄は相変わらず喧嘩が下手だと思う。この喧嘩に勝つには、一次方程式ではだめなんです。複雑な連立方程式がいる。けれども沖縄の行政には軍事に詳しい専門家がひとりもいない。軍隊がどれほどクールな論理で動いているか、分析している人間はいない。基地をどう返還させるのか。返ってきたものをどう使うのか。具体的なものは何もない。論理がなければだめなんです。必要なのは感情でも思いつきでもない、論理です。」(与那原 1997:138)

参考引用文献

サウス・トゥ・サウス

サウス・トゥ・サウス

物語の海、揺れる島

物語の海、揺れる島

*1:なんとなく私はこのアメラジアンという呼称に違和感を感じる。単に馴染みのない言葉だからであろうか?

*2:「やつらに利用されるな」と高校時代の恩師に言われたことがある。「やつら」とは運動家のことを指す。恩師は、琉球大学の学生だった頃、ヘルメットを被って学生運動に明け暮れていた人だ。「沖縄は運動家の自己実現の為にあるのではない」 恩師はこのように伝えたかったのだと思う。