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2015年を振り返って

一足早い2015年の振り返り

12月である。まだ上旬であるので、2015年を振り返るには時期尚早である。しかし、昨日から風邪気味でくしゃみばかりしていて、鼻水だらだら状態で勉強や読書が全く身に入らない。私は、何もしないことに罪悪感を覚えてしまう人なので、この状況でもできることをしたいと思う。そこで、一足先に今のうちに、ばばばと2015年を振り返りたい。

2015年は、挑戦の年であった。今年、大きく分けて私は、2つの挑戦をした。

1つ目が、7月に応募した新沖縄文学賞である。惜しくも最終選考止まりに終ったが、自分の小説が最終選考に残ったこと自体が非常に嬉しい出来事であった。また、これまで味わったことのない非日常を享受することができたことも良い経験であった。あれは午後7時頃であっただろうか。突然、携帯が鳴った。沖縄タイムス社の記者からであった。「もしも受賞が決まったら選考会直後に取材したいので職場の居所を教えて欲しい」と言われ、すっかり舞い上がってしまった私は、選考会の日まで何も手につかなくなってしまった。選考会当日に取材を行うために、選考会の三日前から、受賞候補者に電話連絡しているのであろう。しかし、その結果候補者は選考会まで落ち着かない日々を送ることになる。もしかしたらもしかしたらと落ち着かない。今振り返ると、「生殺しとはこのことを言うのだ」と一人悶えていた日々は、宝くじが半分だけ当たった時のような(どういう時だ)、楽しい日々であった。

2つ目は、行政書士試験の受験である。行政書士の受験勉強は2年前からちょくちょく行っていたのだが、今年は塾での担当業務を減らし、1日約2時間の本格的な学習を心掛けた上で初めて受験した。残念ながら、合格には至らなかったが、勉強法を変える必要があることが理解できたことが収獲である。

過去問ばかりを解いていてはダメだ。なぜなら、これまで出題されたことのない問題が、必ず試験には出題されるからである。これに対応するには、過去問を解くだけではなく、過去問に存在しないテーマに関する法律の条文や判例の暗記を意識的に行う必要がある。過去問集のみに集中したこと。これが今回の敗因であった。来年は、行政書士試験のテキストに存在する全てのテーマに関する条文知識と判例知識を頭に詰め込み、再チャレンジするつもりである。

以上が、2015年に挑戦したことである。2015年にしたことを聞かれたならば、上記2つの挑戦がすぐに想起される。どちらも失敗に終わったが、失敗も含めて良い経験であった。

2015年から開始した活動

もちろん私は、上記挑戦の他にも、塾の講義や、辺野古初訪問などの様々な活動を平行して行っていたが、2015年から新たに開始した特筆すべき活動が2つあるので、最後にこれらに触れておきたい。

2015年から新たに開始したことの1つ目として、空手が挙げられる。弟が急に空手を近所の道場で習い始めたので、その弟から私は、空手を習っている。流派は少林流。独特な足の運び方から、腕の強化方法までを、本格的に学んでいる。型については、既に、普及型Ⅰ、普及型Ⅱ、アーナンクー、普及型Ⅲ(カンシワ)、ワンシュウの5つの型を学習した。まだ完璧に覚えきれてはいないので、引き続き来年も、型の練習をしていくつもりである。

2015年から新たに始めたことの2つ目は、デジタルビデオカメラによる撮影である。夏頃に辺野古へ行き、基地建設反対運動を目の当たりにして、この運動の記録を残すことの重要性を感じ、デジタルビデオカメラの購入に踏み切ったのであるが(バッテリーを含めて約8万円の買い物であった)、忙しさにかまけて、その後辺野古には一度も通えておらず、もっぱら自分の周囲のものを撮影している。

たとえば、カラオケをする自分を私は頻繁に撮影している。思っていたよりも、自分の歌は聞くに堪えないものであることが実感できる。声自体も、何だかもじょもじょしていて格好が悪い。姿勢もかなり悪く、猫背としかいいようがない。

知らなければ、そのまま幸せでいられたのに。このような考えが成り立つかもしれないが、これらの気付きは、自分で自分を撮影し、その映像を視聴しないことには得られない新規の情報である。そういう意味では、新鮮であり、価値がある。これらは私の今後の有り方に十分生かすことができるに違いない。このように考えて最近では、職場で講義する自分も録画し、その映像を批判的に視聴することによって、講義の進め方を反省している。下記がそれである。この動画は、H22年度の那覇市医師会那覇看護専門学校(通称:那覇看)の後期入試問題(国語)を、塾の過去問演習講座で解説する私の講義動画である。

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多くの生徒は、講師に対して、「分かりにくい」や「説明が下手」などのような率直な意見を伝えることはない。この現象は、「思い遣り(人に優しく)」のなせるものと考えられるが、このような傾向に甘えていては、講師はいつか腐ってしまうと私は考えている。他人からの評価を取り入れて、自分の技能を向上させていかなければ、いずれ用無しの烙印を押され、忘れ去られてしまうであろう。私は、どちらかというと、生徒から褒められることが多いので要注意である。案の定、自分で自分を撮影した上記動画には、私が改善すべき点が多く見られた。まず、鼻を触りすぎる。1分に1回は鼻をいじっている。この癖は見てくれが悪いので、直したほうがいいだろう。他にも改善点は存在する。これらは上記動画の説明欄に記載した通りである。様々な改善点が明らかになったので、自分の講義動画を撮影して本当に良かったと思う。

明らかになるものと言えば、それは自分の改善点だけではない。たとえば、様々な歌をカラオケで歌い、その幾つかをアップしてみたところ、中島みゆきの「たかが愛」に人気があることが分かった。世の人々は中島みゆきを求めているようだ。中島みゆきの歌うオリジナルの「たかが愛」を求めて、ネット検索してみたものの、本物が見つからない。仕方ないので素人によるコピーの「たかが愛」で我慢する。中島みゆきを求めてネットサーフィンにいそしむ無数の人々。彼等の気配がパソコンの画面越しから伺えたのも大きな収穫であった。そもそも、何を隠そうこの私自身がこのような気配の一人であった。「たかが愛」のオリジナルは、ネット上で見つからない。だから自分で「たかが愛」を歌ってアップしたまでなのであった。

来年も、引き続き、上記のようなアウトプットを行っていくつもりである。一般人が気軽に世界に向けて、自分に関する、ある種どうでもいいような映像を公開することができる時代は、今まで存在していない。このようなアウトプット行為によって得られるものは、良くも悪くも必ずあり、この点について私は、「世界とつながれる新しいチャンネル」を手に入れてしまった、これを何とかして何とかできないものだろうか。という、方向性の定まらない興奮を覚えている。

そこそこ長くなってしまったが、以上を以って、2015年の振り返りとしたい。2015年、お疲れ様でしたm(_ _)m