PA1040_教職入門_2単位目



1.現代の教員に求められるものについて

 現代社会における教員に求められる役割と資質・能力について、以下より述べる。

 「教員として最小限必要な資質能力(養成段階で習得すべき最小限必要な資質能力)」や、「優れた教師の条件」や、「これからの社会と教員に求められる資質能力」については、平成9年の教養審第一次答申や、平成17年の中教審による「新しい時代の義務教育を創造する」や、平成18年の中教審による「今後の教員養成・免許制度の在り方について」において、それぞれに具体的な内容が示されてきた。

 これらを踏まえた上で中教審は、平成24年の「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」において、「これからの教員に求められる資質能力」を、次の3つに整理した。①教職に対する責任感、探求力、教職生活全体を通じて自主的に学び続ける力『使命感や責任感、教育的愛情』。②専門職としての高度な知識・技能『教科や教職に関する高度な専門的知識(グローバル化、情報化、特別支援教育その他の新たな課題に対応できる知識・技能を含む)、新たな学びを展開できる実践的指導力(基礎的・基本的な知識・技能の習得に加えて思考力・判断力・表現力等を育成するため、知識・技能を活用する学習活動や課題探求型の学習、協働的学びなどをデザインできる指導力)』。③総合的な人間力『豊かな人間性や社会性、コミュニケーション能力、同僚とチームで対応する力、地域や社会の多様な組織等と連携・協働できる力』。

 そして、同報告書において中教審は、「学びの精神」の重要性を強調する。このことは、「教職は日々変化する子どもの教育にたずさわり、子どもの可能性を開く創造的な職業」であることや、「教員を取り巻く社会状況が急速に変化し、学校教育が抱える課題も複雑・多様化する今日、最新の専門的知識や指導技術等を不断に身につけていくこと」の必要性を踏まえたものであり、改正教育基本法第9条の「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」という規定の実践の勧めといえる。

 以上のことから、現代の教員には、教科指導等の基礎・基本の知識・技能に加えて、「学びの精神」が必要だといえる。教員個々人のライフステージの段階(初任者、中堅教員、管理職)により、教員が学校で担うべき役割は異なるが、その一方で常に教員は、新しい知識・技能を学び続けていかなければならないということである。

2.教職者に求められる教育愛と権威について

 教育愛とは、「「善さ」への関心と「子ども」への関心との複合、すなわち教育的関心に貫かれたエロス」を指す。つまり、児童生徒を前にした教員の胸に湧き上がる「彼等を善くしたい」という思いが教育愛である。教育愛は、教育的実践の動機といえる。これがあるからこそ、教員は児童生徒に働き掛けようとするのである。

 この教育愛を、全ての児童生徒に対して教員が抱くことができれば何の問題もないのであるが、このようなことは現実には稀である。実際には、教員が特定の児童生徒にのみ教育愛を抱き、他の児童生徒に対しては教育愛を抱けない場合が多々ある。

 教員はこのような場合には、教育愛を抱けない児童生徒に対して、教育愛を湧き上がらせる技術を用いるべきである。具体的には、その児童生徒との楽しい思い出を想起することや、一緒に遊び楽しむことで教育愛を喚起することが考えられる。あるいは、特定の児童生徒に抱いている教育愛を隠し、全ての児童生徒に対する接し方を意図的に平等にするという対処法もある。これにより、児童生徒に対する教育愛の有無に基づいた不平等な扱いを、教員は回避することができる。

 上記のような配慮の必然性は、教育愛と、教員が持つ権威に関連があることに起因する。権威を「教師と児童生徒の支配・服従関係から生じるものではなく、両者のコミュニケーションにおいて生じる」ものと捉えるならば、教育愛の有無は、権威の生成に深く関わることが容易に理解できるだろう。すなわち、教育愛を全ての児童生徒に抱ける教員は、彼等と密接なコミュニケーションを行うことで、彼等との間に信頼関係を構築でき、権威を得ることができるということである。一方、教育愛を教員が特定の児童生徒にしか抱けず、かつ、このことを隠せないならば、接し方に関して児童生徒間に差異が生じ、全ての児童生徒との間に権威を生成させることができず、学級崩壊やいじめ等の問題に教員は対処しにくくなるであろう。

 以上のことから、教員は、児童生徒に対して自身が抱く教育愛を制御し、彼等との接し方が平等になるように心掛け、コミュニケーションを通して全ての児童生徒との間に信頼関係を構築し、権威を創出していかなければならないといえる。

参考・引用文献

青木秀雄編 『教職入門 専門性の探求・実践力の練成』 明星大学出版部、2015年、p.23‐27、p.177‐183、p.249‐264

捕捉

このレポートは要約型レポートです。

「論述せよ」と課題に書かれていますが、要約型レポートです。

要約型レポートの書き方については、以下が参考になります。

1単位目のレポートは読んでいて面白がれたのですが、2単位目のこのレポートは、あんまり面白くないですね。。

なんというか、「彼等を善くしたい」という思いが教育愛、という箇所に、微妙な引っ掛かりを覚えます。

どことなく、おこがましいというか、傲慢というか、うざいというか、上から目線的なものを感じるのは、考えすぎでしょうか。。

しかし、先生という生き物は、うざいぐらいがちょうどいいのかもしれない、という風にも思います。

上から目線は嫌ですが、気にかけている、心配している、お節介してくるのが、先生なのではないかと。

なんというか、先生というものは、親代わりであって、やっぱり親というものは、子どもにとっては若干うざいものではないでしょうか。

だからこそ、年月が経った後で、「あの先生はうざかったな。。」と、うざさが愛おしく思い出されることもある、というような。。

もしも先生が、松岡修造とかゴン中山みたいな熱血やたらエネルギー放出型の先生だったら、かなり疲れるかもしれませんが。。

先生に気にかけてもらえた子どもは、素直に嬉しいのではないでしょうか。